小田一族再興の苦難を追う
連戦連敗のデータから「戦国最弱」と呼ばれる武将・小田氏治。あまり有能ではないイメージが定着しつつある。だが、本当に弱い武将が何度も大きな合戦にチャレンジできるのだろうか。「歴史ノ部屋」で配信する本連載では有名な戦績データがどこまで事実であるかを確かめながら「小田氏治」の実像に迫りなおす。
北条家滅亡と共に常陸を追われた小田天庵。戦国の不死鳥はその後の人生をどう過ごしたのだろうか。孫の小田友重が残した知られざる記録を紐解くと、豊臣政権下での御家再興への希望と挫折、そして過酷な牢人生活の末に結城秀康の庇護へと至る、小田一族の静かなる最後の戦いが浮かび上がってくる。
戦国の争乱が終わっても天庵の人生は安泰ではなかった。
(連載「戦国の不死鳥 小田氏治」ラスト3回!)
歴史家。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(SYNCHRONOUS BOOKS)、『上杉謙信の夢と野望』(KKベストセラーズ)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)など。書籍監修や講演活動なども行なっている。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。
その後の小田天庵
北条家が滅び、小田天庵はどうしたのか。
これが実はあまり詳らかではない。
一応は、関ヶ原合戦のあった慶長五年(1600)までに結城秀康のもとに身を寄せて、越前に入ったことは知られている。そしてその翌年、天庵は亡くなる。
天正18年(1590)からその後の10年間を見る上で、面白い史料がある。
それは、天庵の孫による長文の記録である。
天庵の孫・小田友重
元和3年(1617)12月25日に、小田天庵の孫であり、その長男・友治と北条家臣・芳賀伯耆守正明娘との間に生まれた次男である小田友重が戦国小田一族の経歴を記した書状案写が残っている(『土浦市史資料集 土浦関係中世史料集 下巻』215〜216頁・常総市地域交流センター所蔵文書)。
長文なので全文を紹介することはできないが、天庵関連のテキストを見ていくと、そこに意外と知られていない情報を確認することができる。
この書状案写には、まず天正18年の小田原開城時に小田家が没落した時の様子が記されている。...