
連戦連敗のデータから「戦国最弱」と呼ばれる武将・小田氏治。あまり有能ではないイメージが定着しつつある。だが、本当に弱い武将が何度も大きな合戦にチャレンジできるのだろうか。本連載では有名な戦績データがどこまで事実であるかを確かめながら「小田氏治」の実像に迫りなおす。
第15回となる今回は「小田氏治の通称」について
「小田中務少輔」は小田氏治の名乗りだとといわれている。
ここでは「関東幕注文」に記されたこの名乗りについて、史料を再検討する。そこから氏治が実際に名乗った「太郎」と比較して、その真偽を探っていく。
乃至政彦
歴史家。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(SYNCHRONOUS BOOKS)、『上杉謙信の夢と野望』(KKベストセラーズ)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)など。書籍監修や講演活動なども行なっている。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。
歴史家。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(SYNCHRONOUS BOOKS)、『上杉謙信の夢と野望』(KKベストセラーズ)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)など。書籍監修や講演活動なども行なっている。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。
小田氏治は「中務少輔」だったのか?
以前に述べたことを少し修正したい。
連載(長らく他の原稿公開を優先して申し訳ありません)の第一回で、一次史料に小田氏治が「中務少輔」と名乗ったことがあるとしたことについてである。
氏治の通称・仮名については、いまだ決定的な見解が得られていない。研究者ごとに判断の幅が存在し、史料上の制約も多い。
その研究史は、黒田基樹氏「常陸小田氏治の基礎的研究」(『国史学』166号、1998年)によって一次史料に基づく基盤が築かれたが、その後も劇的な進展は見られない。本稿ではその蓄積を踏まえつつ、とくに「小田中務少輔」とする史料の解釈を再検討したい。...