最弱と呼ばれながら戦国時代を生き抜いた小田氏治
連戦連敗のデータから「戦国最弱」と呼ばれる武将・小田氏治。あまり有能ではないイメージが定着しつつある。だが、本当に弱い武将が何度も大きな合戦にチャレンジできるのだろうか。「歴史ノ部屋」で配信する本連載では有名な戦績データがどこまで事実であるかを確かめながら「小田氏治」の実像に迫りなおす。
小田氏治は、今日では戦国最弱と揶揄されがちだが、その個人戦闘力は非凡の域に達していたと推定できる。幾度も本拠地を奪還した不屈の闘志を支えたのは、一族相伝の「小田流剣術」と、戦場に臨む確かな武技だった。連載の最終回では、連敗伝説の陰に隠れた不死鳥の真髄に迫る。
歴史家。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(SYNCHRONOUS BOOKS)、『上杉謙信の夢と野望』(KKベストセラーズ)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)など。書籍監修や講演活動なども行なっている。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。
小田流剣術の起源
この連載で、戦国最弱で失地を繰り返しながらも、関ヶ原合戦後まで平和に生き残った小田氏治というイメージも少し変わったものと思う。
小田氏治を名将とするか、弱将とするかは、研究ではなく、印象からなる世評に託したい。
最後に氏治個人の戦闘力について触れておきたい。
これは近世以降の史料にのみ見えることなので、一定の注意を要するが、小田氏治は一族相伝の剣術を習得していたとされている。
その剣術は、小田家8代当主・孝朝に始まる。
そして15代氏治のあとは16代守治、17代経治、18代吉治、19代頼治、20代義久へとその嫡流に継承されていった。
史料上の小田流伝承
小田流は「中条流」「念流」と並んで日本の剣道史上、最古に位置する剣術の一つであるが、その具体的内容は不明である。
常陸国の小田孝朝(1337〜1414)は、三河の中条出羽守頼平(生没年未詳)や同族の中条長秀(中条流「平法」の祖。生没年未詳)から剣術を学んだ。
そしてその後、蘆男山(足尾山)の日神に祈祷して夢の中に神伝を得ることとなり、「小田流剣法(小田無応流とも)」を創始したとされている(『新撰武術流祖録』)。
応安年中の人而常州小田城主也、三州の人中条出羽守頼平刀術得其妙、後祈同国蘆男山日神蒙夢想神伝究刀術奥旨称小田流、嫡孫讃岐守治朝得絶妙、
その後、武蔵国を転々としていた19代頼治(1675〜1743)が新たな流派を開いた。もともと無名の小田流を喧伝するために我流の技を組み合わせ、伝統的権威を飾って喧伝しようとしたように考えられる。...