乃至政彦『歴史ノ部屋』。今回は『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』を共著した高橋陽介氏と「関ヶ原合戦」をテーマに対談。第3回のテーマは「会津征伐」そして「直江状」真贋論争。徳川家康、上杉景勝の動きから「直江状」の矛盾を指摘する。

「直江状」の矛盾(配信内容一部抜粋)

高橋陽介(以下、高橋) 「会津征伐」ってなんだったのって話に戻します。

 慶長5年3月21日に徳川秀忠が上杉景勝に対して書状で説得を行ったわけです。このときも上杉景勝は「上洛は難しいですね」という態度だったわけです。

 このあと4月1日に西笑承兌が直江兼続に上洛を勧める書状を送ります。内容は「上洛した方がいいですよ」っていう親切な書状です。詰問状ではないと思います。

乃至政彦(以下、乃至) ないですよね。挑発でもない。

高橋 「景勝は徳川家康に起請文を差し出して、身の潔白を証明した方がいいですよ」「家康がなぜ景勝に上洛を要請しているのかというと、豊臣政権の運営について相談したいからですよ」ということを言うわけです。

 ちなみに直江兼続の直江状の第一条では「上杉景勝は何回も起請文を差し出しているから、これ以上差し出すつもりはない」となぜか家臣が断っている。しかし実際は1回も出したことがない。だから極めて失礼な内容なんです。

 僕は直江状は無いと思っています。もちろん反対意見もあると思いますけど。

乃至 私も無いと思ったほうが良いんじゃないかって思いますね。物言いが悪くなりますが、直江状はあるものと思って、結び付けて読むと勝手にストーリーができてしまう。ある程度ストーリーが通りそうになるんですけど、そのストーリーに矛盾がないかどうかを検証してもらえれば、無いと考えた方がまだ通りが良いんじゃないかなと思います。

高橋 最初に直江状を否定したのは、乃至政彦さんだと思っているんですけど。

乃至 なるべく直江状はないと考えた方が良いんじゃないかと私は思います。

 最終的には上杉景勝が上洛を蹴ったという事実はある。直江兼続が蹴ったわけではないと。そこまでの権限はないですからね。…続きは『歴史ノ部屋』で☑

次回の対談から「関ヶ原を歩く〜現場から当時の戦況を読む」(動画)を配信予定です

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