桶狭間合戦、関ヶ原合戦など、いまだ謎多き戦国合戦を最新研究と独自の考察で解き明かす『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)​が発売中の乃至政彦氏。連載中の「ジャンヌ・ダルクまたは聖女の行進」、今回は、シャルル7世のランス入城について。

オルレアン解放後、続々と戦果をあげるジャンヌと王国軍の動きに、人々の心が動く。主戦派はその実績によって世論を変えつつあった。ここでシャルル7世も重い腰をあげた。
ジャンヌと合流したシャルル7世は、これよりランスの解放を目指す。
フランス王国となる人はランスで戴冠する必要があった。戴冠式を成し遂げれば正当性はこちらにある。フランスの国土からイングランド陣営を駆逐するには、これ以外にない。
かくしてジャンヌとシャルル7世は、ランスに向けて進軍を開始する。この先待ち受けているのは、イングランド側につく城塞都市群であった。

(1)はじめに
(2)序章 ジャンヌ・ダルクと平将門①

(3)序章 ジャンヌ・ダルクと平将門②
(4)第一章 村娘の冒険①
(5)第一章 村娘の冒険②
(6)百年戦争とフランス王国の分裂
(7)ブルゴーニュ派とアルマニャック派とイングランド

(8)シャルル7世の義母ヨランド
(9)リッシュモンの活躍
(10)オルレアンの抵抗
(11)1412年、祭日の夜に生まれたジャンヌ
(12)ドンレミ村で孤立するジャンヌの父
(13)ドンレミ村を出た子供
(14)司令官への訴えはジャンヌの実母が主導した
(15)ジャンヌ・ダルク傀儡説の真偽 
(16)人工聖女を創出した人々
(17)シノン騎行の若き護衛たちと男装の村娘
(18)人工聖女とシノンの王太子
(19)オルレアン籠城戦とニシン合戦
(20)ジャンヌの進発
(21)デュノワの時間稼ぎ
(22)小勢でオルレアンに入ったジャンヌ
(23)ジャンヌ派の躍動とオーギュスタン砦の奪還
(24)トゥーレル奪還とオルレアン解放
(25)フランス王国軍の逆襲
(26)パテー会戦
(27)シャルル7世のランス入場
・オーセールへの進軍
・トロワへの進軍
・潮目の変化とシャロンへの進軍
・民衆的な行事だった戴冠

・ランスの服属
左から、ランスのノートルダム大聖堂と、そのマスコットである微笑む天使の像 写真/神島真生

オーセールへの進軍

制作/アトリエ・プラン

 シャルル7世は、まだ「王太子」である。シャルル陣営の者は多くが「国王」と呼んでいたが、伝統的慣習として、フランス国王となる者は、ランスの教会で聖別・戴冠の儀式を受けてきた。

 ジャンヌから見ればシャルル7世の「国王」は私称に過ぎず、彼女は「王太子」と呼び続けてきた。

 沈黙する民衆の深層にある心底も、同じであっただろう。フランスの実効支配を進めようとするイングランド側に対抗するには、正式な手続きを踏んだ唯一無二の国王が必要なのである。

 ペルスヴァル・ド・カニーの年代記によれば、シャルル7世は6月後半になっても、まだジアンで「長い滞在」を続けていた。軍隊を集めて動かす資金がなかったからであるらしい。

 だが、「あらゆる騎士、準騎士、兵士その他の人々も、乙女が同行するこの遠征に、国王のために参加する」強い意志を表明した。

 ジャンヌも神の声をもってシャルル7世の出馬を促した。

 シャルル7世もこれなら動けると判断した。家臣や市民および自分の陣営に加わりそうな勢力の各所に、ランスへの招待状を書き送らせた(招待状は、のちにジャンヌを生捕りにするブルゴーニュ公のもとにも届けられた)。

 6月29日、遠征軍はランスに向けて進軍する。

 30日、イングランド=ブルゴーニュ派の町オーセールに到着したフランス国王軍は、市外に布陣して「ここからトロワ、シャロンを経て、ランスに向かうので我が軍に協力してほしい」と要請した。

 しかし交渉は思い通りに進まず、食料の提供だけはしてくれたが、3日経っても城門を開けてもらえなかった。これから訪問する先々の反応を待つという和議に留まったのである。

 王国軍は仕方なく次の目的地を目指した。

トロワへの進軍

 次に目指したのはトロワである。...