桶狭間合戦、関ヶ原合戦など、いまだ謎多き戦国合戦を最新研究と独自の考察で解き明かす『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)​が発売中の乃至政彦氏。連載中の「ジャンヌ・ダルクまたは聖女の行進」、今回はジャンヌの生年月日について検証する。

ドンレミのジャンヌ・ダルク像 写真/神島真生(以下同)

ジャンヌの生まれ年

 ジャンヌダルクの誕生日はもちろん生まれ年も明確にはわかっていない。

 ジャンヌが亡くなった1431年に、本人が裁判中の質疑応答で「現在何歳かと問うと、十九歳だと思う」と答えたことが記録されていることから、1412年生まれとされ、19歳で亡くなったことに落ち着いている。

 本人の「だと思う」という確信のない表現が印象的であるため、正確を期さんとする記録は、彼女の生年を不明、または「1412?」と疑問符付きの表記とする。

 なお、この問答を記す裁判記録には、ジャンヌの発言と矛盾するような記述もある。

 そこでは、裁判員が「被告ジャンヌは二十歳の頃、自らの意志で、父母の許しなしにロレーヌのヌフシャトーに赴き、ある期間ラ・ルースという名の宿の女主人の家に奉公した」ことについてジャンヌに確認を求めた。

 対するジャンヌは「以前答弁した通りであり、それ以外のことは否認する」と応答して、沈黙を通している。

 そこでその「以前答弁した」に該当するくだりの諭告文を見てみると、「何歳の時に父の家を出たかと問うと、年齢的については述べられない、と答えた」とあり、ジャンヌは年齢の応答をしていないことがわかる。...