樺沢城の御館の乱戦死者追悼碑/新潟県南魚沼市(フォトライブラリー)

 『謙信越山』著者・乃至政彦が挑む「御館の乱」と「上杉景虎」。上杉家のみならず、北条・武田など関東の戦国史に多大な影響を与えた越後の跡目争いを上杉景虎(北条三郎)を中心に見ていく(全5回の第5回)

 遂に始まってしまった「御館の乱」。不利な状況下で行った景虎の戦略と、それに対する景勝の一手とは?最終回ということで、筆者・乃至政彦が、跡目争いの結末に加えて、戦国最強と言われた上杉謙信や、乱世を生き抜いた景勝にも負けない「上杉景虎」の魅力と生き様を語ります。

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乃至政彦
歴史家。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(SYNCHRONOUS BOOKS)、『上杉謙信の夢と野望』(KKベストセラーズ)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)など。書籍監修や講演活動なども行なっている。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。

武田勝頼との和睦

 御館の乱が始まった当初、上杉景虎方には強い勢いがあり、春日山城まで攻め込みました。しかし、景勝たちはこれを撃退します。さらに、春日山城と御館城の間で交戦しますが、これにも景勝が勝利します。景虎方(というより御館方)はあまり強くありません。

 これには理由があります。戦国時代後期の軍隊は、統制のとれた兵種別編成の軍隊が整備されていました。武士としての練度の高い人々が大名の親衛隊として再編成され、領地ではなく城下に住まわされ、集団訓練と集団行動を繰り返していたのです。権力を持つ大名と単なる国人領主の武力には大きな格差が現れていたのです。

 これでは正規軍同士の合戦で景虎が勝てるはずもありません。

 そこで、景虎たちは他国の大名たちの手を借りることにします。...