大人気シリーズ「謙信と信長」もうすぐ完結。

戦国最強武将の「知られざる」戦い。一次資料をもとにその姿を解き明かす大人気シリーズ。

『謙信と信長』目次 

【最新回】―(35)イメージを覆す史料の中身
 ・謙信書状写の精度
 ・『松隣夜話』における手取川合戦
 ・古史料による合戦再現
 ・『信長公記』に書かれた謎の大軍ワープ
 ・信長の所在
『歴代古案(別本)五』東京大学史料編纂所データベースより

謙信書状写の精度

 次に、手取川合戦でもっともよく取り上げられる准一次史料の謙信書状写から該当部分を読み下そう。

[九月二九日付「上杉謙信書状写」]

【訓読】[前略]七尾存分の儘に入手に、同十七(日)、號末守の地も入手に、これも賀(=加賀)・能(=能登)の間の地に候わば、(山浦)源五殿・斎藤(朝信)籠め置き、当国一変申し付け候ところに、これを信長一向に知らず、十八(日)、賀州湊川まで取り越し、数万騎陳取り候ところに、両越(=越後・越中)・能の諸軍勢なす先勢差し遣し、謙信事も直馬に候ところに、信長、謙信後詰を聞き届け候か、当月廿三日夜中に敗北せしめ候ところに乗り押し付け、千余人討ち捕り、残る者どもことごとく河へ追い籠め候ける。折節洪水漲りゆえ、瀬無く、人馬残らず押し流し候。まことこの如きの萬方仕合せ、年来の信心歓喜までに候。重ねて信長打ち出候も一際これあるべきと校量せしめ候ところに、案外に手弱の様躰。この分に候わば、向後天下までの仕合心安く候。[中略]
       九月廿九日          謙信
            長尾和泉守殿
                       (『別本歴代古案』巻五)

 謙信書状写については諸本あるが、古態に近いと思われるのは、今読み下した『別本歴代古案[巻五]』(以下『別本』と略す)である。従来、手取川合戦の考察では『歴代古案』(以下『歴代』と略す)の巻一に掲載される同文書が用いられてきた。だが、こちらは人名や日付に誤記が多く、精度の点でいえば『別本』の側に分がある。

 例えば、『歴代』の該当文書は「信長」と記すべきところが「信玄」と誤記しており、朱筆で「信長」の訂正が入っている。細かいところではほかにも遊佐「美作守」とするべきところが「美濃守」、「入手」も「入事」となっているのが訂正されている。その他、朱筆が入っていないところでも「一変」が「一愛」になっているなど単純な誤りが目立つ。

 いっぽう『歴代』より後に編纂された『別本』は、『歴代』ではなく謙信書状の実物あるいはそれに極めて近い史料を見て書き写したらしく、『謙信公御書集』などほかの同文書写は『別本』の文章に近い。数ある写本の中で『歴代』だけ特に間違いが多いのであり、おそらく筆記者は書状原本の内容や文意をよく検討せず、作業的に見たままでとりあえず書き写したのだろう。

 写し違いでもっとも重要なのは日付である。『歴代』は九月一九日となっており、『別本』の方は九月二九日となっている。本文で「当月廿三日夜中」に発生した合戦の中身が報告されているので、日付が一九日であることはない。『別本』が正しいだろう。

 両者が有する筆写精度の差は、御館の乱時における武田信豊書状写からも推測できる。これもまた『歴代』と『別本』に同内容の書状が掲載されていて、前者は「六月十六日」、後者は「六月十二日」の日付となっており、相違があるが、『上杉家文書』に原本が保存されていて、こちらでは「六月十二日」の日付となっている。手取川合戦の内実を見るには、やはり『別本』の謙信文書を見るべきだろう。

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