『謙信越山』著者・乃至政彦が挑む「御館の乱」と「上杉景虎」。上杉家のみならず、北条・武田など関東の戦国史に多大な影響を与えた越後の跡目争いを上杉景虎(北条三郎)を中心に見ていく(全5回の第4回)

 謙信の死後、上杉家はどのように「御館の乱」に向かっていくのか。家督を継いだ景勝と有力家臣の間に亀裂を生んだある慣例をはじめ、上杉家の内乱までの経緯を整理します。

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乃至政彦
歴史家。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(SYNCHRONOUS BOOKS)、『上杉謙信の夢と野望』(KKベストセラーズ)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)など。書籍監修や講演活動なども行なっている。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。

景勝の失敗

 上杉景勝が跡目を相続すると、越後の家臣や領主の中から反発が生じます。何が問題でこのような事態に至ったのかは不明ですが、当時の上杉家は、織田信長・武田勝頼・北条氏政という強敵を抱えていましたから、剛強すぎる景勝では行く先不安だと思ったのかもしれません。

 実際、謙信は死の直前、城下に諸国の兵を集めて、大規模な軍事行動をする準備を調えていました。関東に出た後、上洛する予定だったとするのが現在もっとも妥当な見方とされています。

 若い景勝はここでひとつの失敗をします。会津の蘆名が不穏な動きを見せていると、三条城主の神余親綱が周辺から人質を集めました。

 謙信の家臣は紛争前に係争地周辺の町人から人質を集めることがあり、その慣例に従ったようです。

 しかし、跡目を継いだばかりの景勝は、謀反の企みではないかと疑ったらしく、詰問の使者を送りました。親綱は誓文を差し出せとまで言われます。しかし親綱は突っぱねます。...