合戦に駆り出された兵を養う兵糧。戦国大名たちはどのように兵糧を集めていたのか?先日発売された「信長の野望・新生」の話を絡めながら、誰もが一度は思う疑問を資料を基に解説します。

内容
・「信長の野望」の兵糧システムは非現実的?
・合戦の輸送担当「小荷駄隊」
・資料から読み取る「兵糧の役割と調達方法」
・「禁制」の地で起こったこと
・織田信長以降に起こった兵糧調達の変化
・豊臣秀吉の失敗

「歴史ノ部屋」
 連載『謙信と信長』
 連載『光秀の武略に学ぶ』
 動画シリーズ『戦国を読む』
 書籍『戦う大名行列』 
 その他歴史対談、歴史解説など

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「腰兵糧」と「小荷駄隊」

 最近出た「信長の野望・新生」というゲーム。この「信長の野望シリーズ」ではお金と食糧の生産っていうのが基本システムにあって、お金を使っていろんなことをする。

 例えば田園や町を作るなど領地を開発する。あるいは鉄砲とか馬を買い揃えて軍隊を構成してそれを出陣させる。出陣すると兵糧を使っていく。食糧をどんどん使ってそれが尽きていくと、戦争に出て行った部隊は消えてしまうとか、撤退してしまうというペナルティがある。このシステムで初代から約30年間やってきたわけです。

 しかし最新作はちょっと趣向が違っていて、城ごとに兵糧が有り、城を出た部隊には「腰兵糧」というのが与えられて、これがなくなるとこの部隊は負け。兵糧ではなく腰兵糧になっているんです。

 腰兵糧って何かっていうと、文字通り腰などに兵隊などが付けて持ち歩ける携帯用の食糧のことですね。

 この腰兵糧がこのゲームでは100日とか持てるわけですね。100日分の腰兵糧を持っていく。想像するとありえないですね。当時と比べれば圧倒的に持ち運びやすい現代の食糧でも100日分はさすがに持てないでしょう。5日分でも厳しいと思います。

 実際には兵糧を運ぶ下っ端の人とか、あるいは労働者がいたという設定を考えているのかもしれません。

 ちなみに戦国時代にも腰兵糧という言葉があって、腰兵糧というのは原則3日分持つこと、というのがいろんな資料に書かれています。なので腰兵糧っていうのは3日しか持てなかったんですね。3日持つのが普通だったと。3日以上持つと重すぎるから4日以上は持たなくていいという考えだったのかなと思います。

 ただ3日分しかないのに他国に遠征に出られるかっていうとまず無理ですね。

 例えば上杉謙信。越後から何度も関東に行ってますけど3日で終わるわけがない。関東出るまでに何日かかるんですかと。それで関東出て何か月戦っているんですかという話で、腰兵糧だけで戦争はできないわけです。

 そしたら食糧は大名が管理して持って行かせるのかと。そこで「小荷駄隊」というのがあります。これは食料を輸送する部隊で戦場で常に一緒に動いているものだとされています。

 武田信玄と北条軍の戦い「三増峠の戦い」で武田軍は小荷駄隊が襲われて輸送物が奪われてしまっているんですけど小荷駄隊というのは非常に重要です。

 この輸送部隊は野戦でも付き従っています。上杉謙信と武田信玄の「川中島の戦い」でも小荷駄隊というものがあります。これは当時直江景綱が担当していたと思います。

 じゃあ小荷駄隊は野戦中、どれぐらいの時間で終わるかわからない大合戦の中で何をやっていたのか。

 もちろん食糧を運んでいたと思うですけど、それ以外にも戦争用の武器・防具を運んでいました。例えば矢が尽きたら矢を運ぶ、鉄砲の玉が尽きたら鉄砲を運ぶ、鎧が壊れたら部分的に取り換えるということもやっていたと思います。

 この小荷駄隊というのは食糧だけを運んでいるわけじゃなくいろんな物資を運んでいました。戦国時代の資料で小荷駄隊が出てきたらそういうものを運んでいたと考えていただければと思います。(続きはフルバージョンで)...