気鋭の歴史家が語る関ヶ原合戦の新解釈

 桶狭間合戦、関ヶ原合戦など、いまだ謎多き戦国合戦を最新研究と独自の考察で解き明かす『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)​が発売中の乃至政彦。

 今回は『戦国大変』の話に関連させながら、本書の読者から寄せられた「戦国時代」に関する質問に答えていく。

 第5回は関ヶ原合戦当日の石田三成の布陣地について。

 通説では笹尾山に布陣していたとされる石田三成。しかし笹尾山に布陣していたという記述は「江戸時代の文献には書かれていない」と乃至氏は語る。

「石田三成が西軍の総大将であり、東軍との決戦を望んでいたという前提があるならば、笹尾山でも矛盾は少ないかもしれないですね。

 ただ石田三成が西軍の総大将ではなく、東軍との大決戦を望んでいなかったとしたら別の布陣地にいたかもしれない」

 では石田三成の本当の布陣地はどこか。また別の布陣地にいたとすると、その狙いは何か。

 江戸時代の史料を根拠に新たな解釈を提示する。

〈関連動画〉
関ヶ原合戦、石田三成が「非合理な動き」を強いられた理由

動画内容
・関ヶ原合戦布陣地の信憑性
・石田三成はどこに布陣していたのか
・石田三成の布陣地が覆る意義
・布陣地が変わると関ヶ原合戦が変わる