『謙信越山』(JBpress)著者・乃至政彦と書籍の執筆のほか、大河ドラマ『麒麟がくる』等に資料提供として参加した歴史研究家・小和田泰経が対談。

第3回は昨今イメージの変化が著しい今川家について。

かつて軟弱な大名として描かれていた今川義元。しかし最近の大河ドラマは義元を名君として描いている。

なぜまったく逆に描かれているのか。

そして名君・義元の人質である家康にどのような影響を与えたのか。

『どうする家康』でも注目されている今川家について小和田氏に聞く。

小和田氏が語る、現代日本にも通ずる今川家の思想とは。

(2023年1月収録)

動画内容
・変化した今川義元・氏真親子の人物像
・今川義元と家康、本当の関係
・今川が桶狭間で負けなかったら三河のトップは家康?吉良?
・家康の中に生きる今川家の教え
・現代にも通ずる義元・家康の思想
小和田泰経
歴史研究家。1972年生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期退学。専門は日本中世史で、戦国武将や武具などに精通している。現在、静岡英和学院大学講師、早稲田大学エクステンションセンター講師。2023年大河ドラマ『どうする家康』に資料提供として参加。著書に『チャートと地図でわかる徳川家康と最強家臣団』(ホビージャパン)、『徳川家康の素顔』(宝島社)ほか。

〈動画一部抜粋〉今川家の再評価

乃至政彦(以下、乃至)今回の大河ドラマは徳川家康が主人公ということで、前半生が今川家との関わりが非常に強いんですよね。

 今川家はフィクションで描かれるたびにイメージが全く違う。すごい変わりようですよね。

 従来であれば今川義元も息子・氏真も無能な感じ、弱々しい感じで描かれてきました。しかし今回は全くそんな感じがない。どうしてこんなにイメージが変わったんでしょうか?

小和田泰経(以下、小和田)これは最近見直しが進められていことが大きいですよね。

 今川義元というと馬にも乗れないから桶狭間に輿に乗って出掛けたなんて言われて、それは太っていたからっていう話もあったりするんですよね。

 でも『どうする家康』の第1話でも出てきてましたけど、あれは室町幕府から特別な特権として得ているものなんですよね。

 馬に乗れないから輿に乗っているんじゃなくて、輿に乗ることができる特別な家柄だということなんですね。

 いまだったら「センチュリー」や「プレジデント」に乗って登場しているような特別待遇なんですよ。それを信長に見せつけようとして出てきたわけですよね。

 だから全然無能でもないし、むしろ善政を敷いていた。

今川家の治世は時代の最先端

小和田 今川義元のお父さんの氏親が作った『今川仮名目録』によって国を支配していたわけなんですよ。(『今川仮名目録』は氏親が制定した『仮名目録』と後に今川義元が制定した『仮名目録追加』の総称)。

 つまり法治国家の先駆けみたいなものですよ。

 訴訟を上手く裁くことが大名の大きな役割です。これが出来なくなったら見放されちゃうわけですよね。

 それを自分が恣意的にやるんじゃなくて、ちゃんとした法に定めてやりましょうってしてるわけです。

 だからむしろ当時としては最先端の国づくりをしていたわけです。

 駿府(駿河国の都市、現在の静岡市)、駿河の府中だから駿府と言っていますけど、ここは日本でも指折りの繁栄している場所と言われているんです。

 それは大内氏の山口(現在の山口県)や、朝倉氏の一乗谷(現在の福井県)に匹敵するほどだった言われています。

 

 そう考えると今川氏の治世はそんなにおかしいことをしていたわけじゃないっていうのが最近の大きな流れです。

 昔は白粉塗ってお歯黒で描かれたりしていますけど、そもそもあれは貴族の習慣で、それだけ今川氏が京都の雅な風習を受け継いでいるからなんですよね。全然おかしな話でもなく、なよなよしていたわけでもない。

 そういう描き方が違うんじゃないのっていうのがちょうど『おんな城主直虎』(2017年)の頃から変わってきたんじゃないですかね。

 氏真も無能じゃないし、一生懸命やっていたんだよっていうのが今の傾向ですよね。

 今川氏が再評価されているのは静岡出身の私としては大変にありがたいことです。

義元が討たれた理由

乃至 輿に乗るってかなり格の高いことですよね。

小和田 そうですよ。信長は乗れないので。

乃至 上杉謙信も輿に乗って関東に行ったことがあるんですけど、あれを軟弱と見る人がいないように、今川義元も別に軟弱だったわけではない。

小和田 全然軟弱じゃない。

 そもそも桶狭間の戦いは逃げるときに馬に乗って逃げていますからね。全然馬に乗れないわけじゃないですよね。馬に乗らなくて済む家柄だということですね。

 それを信長に見せつけようとしたら輿のある場所が義元にいる場所だってわかっちゃったんですよね。

 だから馬に乗って逃げていたら、もしかしたら殺されなかったかもしれない。

 それはそうですよね。いろんな車で集まっている中で、一番高い車を目指して襲撃するようなものなので。

 他の人と同じような馬に乗っていたら義元がどこにいるかわからない。それが輿に乗っていたからその場所を集中的に攻撃されて狙われちゃったということなんですよね。

乃至 輿に乗るというのはある意味余裕を見せつけている感がありますね。輿に乗っても私は討たれない、みんなが守ってくれると。格が違いますね。

小和田 もちろん近くに接近したら甲冑も着ていたんでしょうけどね。余裕を見せるっていうのも大事なことなんですよね。

乃至 あの段階で輿に乗ってきたということは、格の違いを見せてあのまま三河全体とさらには尾張を...。

小和田 最終的には尾張を平定するつもりだったんでしょうね。それを併吞して今川領にするつもりだったんでしょうね。...続きは動画でお楽しみください

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小和田泰経氏との対談『どうする戦国合戦』はこちら
第1回 大河ドラマにおける「物語」と「史実」の調整
第2回 大河ドラマ制作の難しさ
第3回 最新回
第4回 次回

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