大人気シリーズ「謙信と信長」もうすぐ完結。

戦国最強武将の「知られざる」戦い。一次資料をもとにその姿を解き明かす大人気シリーズ。

ここまでのあらすじ

『謙信と信長』目次 

【最新回】―(33)七尾城陥落
 ・七尾城内の混乱
 ・第二次能登七尾城攻め
 ・揺れる巨城
七尾城 本丸 写真/フォトライブラリー

七尾城内の混乱

 謙信の越後守護代は祖父能景の代から守護畠山家と親密であったが、能登国内は有力家臣の「七人衆」が畠山当主を追放してその当主を入れ替えるなど不安定な状態にあり、しかも守護になって二年ほどの若き畠山義隆(よしたか)がこの二月に病死したばかりであった。義隆息子でまだ幼年の春王丸は元服しておらず、現当主はまだ不在のようであった。もちろん彼らが追放して、今は近江に亡命している畠山義続・義綱父子を呼び迎えるつもりなどない。彼らは反織田派に取り込まれており、しかもこれまでの経緯から見て、傀儡として大人しくしてくれるはずもなかったからだ。

 しかも七人衆は遊佐続光(ゆさつぐみつ)をはじめとする親上杉派と、長続連(ちょうつぐつら)をはじめとする親織田派に分裂しつつあり、謙信が積極的に乗り出さなければ七尾城は織田派の拠点と化してしまう危険があった。

 このため同年七月、足利義昭の者たちに「北国衆」を召し連れて上洛を目指すと上申した謙信に、越中・能登・加賀を丸ごと占領して領国とすることへの躊躇いなどなかった(上越市史一三〇一)。

 謙信は能登の諸方面を制して七尾城を孤立させた。だがさすがに七尾城は堅く、そのまま年を越すことになった。そして翌年三月まで能登の「一国平均」を実現できなかった。謙信は、石動山城の普請と守備を命じて、一旦越後に帰国することにする。

第二次能登七尾城攻め

 謙信が第一次七尾城攻めを終えて帰国すると、重臣・長続連(ちょうつぐつら)の嫡男・綱連(つなつら)は、七尾北西の熊木・富木の要害を攻め落とし、さらには穴水城を囲むなど、勢力回復に動き回った。能登南方は別の重臣が奪還を進めたようだ。

 そこへ謙信が再び攻めてくると、綱連は穴水城の囲みを解いて、七尾城に戻って籠城準備に入った。

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