江戸の男女が実際にどんな会話をしていたのか?
当然ながら録音した音声は残っていないため再現するのは困難…しかし、手がかりはあります。
それは、戯作(大衆小説)の中のセリフです。読み解くと、身分差、男女差、職業差、年齢差などの厳格な社会だったことがわかります。
とくに春本や春画の書入れは、江戸の男女が性をめぐる場面でどんな用語を用いていたのか、どんな言い回しをしていたのかを生き生きと伝えています。
この連載では、江戸の性文化に精通した筆者がこれらを紐解き、江戸の男女の性をめぐるやりとりを再現、江戸時代の男女のリアルをお届けします。
一人前の遊女になる儀式
現代では、「サンマの水揚げ」や「店の水揚げ」などと用いることが多い。つまり、水揚げは、漁獲量や売上高の意味である。ところが、水揚げという言葉は、江戸時代には淫靡な意味に用いられた。
遊廓の吉原では、十歳前後で売られてきた女の子を禿(かむろ)として育て、雑用をさせながら、遊女教育をほどこした。十五歳前後で初潮を迎えると、水揚げと称して、性の初体験をさせる。いわゆる破瓜(はか)であり、処女喪失でもある。水揚げをする男は、妓楼の客の中からふさわしい者がえらばれた。
水揚げがすんだあとは、一人前の遊女として客を取り始める。この初体験の儀式を、水揚げと呼んだのである。吉原以外の遊里でも、ほぼ同じだった。
それどころか、遊女ではない素人の女の場合でも、初体験を水揚げと呼ぶことがあった。いわば業界用語が一般語になったと言おうか。
図1は、そんな水揚げの光景である。女は、
「あれさ、およしよ、わちきはいやだよ。大きな声をしますよ。あれさ、いやだよう」
と、抵抗している。
ところで、遊廓の女の水揚げを頼まれる男は、まさに男冥利に尽きると言おうか。ただし、無料ではない。道後温泉の女郎屋の楼主が語ったとされる『おさめかまいじょう』(宝暦2年)に、
だな衆の好き年寄りに、初会、裏返しの二日の通しとして、揚げ代を凡そ三十日分を取る。
とある。金のある好色な旦那衆に、つまり金持ちの助平爺ぃに二日間、女の水揚げを任せる。ただし、料金は三十日分をいただく、と。
この三十日分が一般的だったかどうかは不明だが、水揚げをする男が多額の祝儀を払わねばならなかったのは事実だった。
では遊里で、さらには一般の男女の間で、水揚げという言葉はどのように用いられていたのであろうか。
男が情熱を傾けた「水揚げ」
●吉原の妓楼。客の男が、しげみという禿に言う。
「しげみ、どうだ、水揚げは俺が占子(しめこ)の兎じゃ」
春本『床すずめ』(司馬江漢、安永元年頃)
「禿」はまだ遊女になる前の女の子。客は俺が水揚げをしてやると、からかっている。それどころか、着物の裾の中に手を入れている。
「占子の兎」は地口で、物事が思った通りになったときに言う。「しめた」の意。図2は、まさに上記の光景である。
●見合いで結婚した男女の初夜の床。男が女にたしかめる。
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