図1『尾上松緑百物語』(尾上菊五郎著、文政9年)、国立国会図書館蔵

 

 江戸の男女が実際にどんな会話をしていたのか?

 当然ながら録音した音声は残っていないため再現するのは困難…しかし、手がかりはあります。

 それは、戯作(大衆小説)の中のセリフです。読み解くと、身分差、男女差、職業差、年齢差などの厳格な社会だったことがわかります。

 とくに春本や春画の書入れは、江戸の男女が性をめぐる場面でどんな用語を用いていたのか、どんな言い回しをしていたのかを生き生きと伝えています。

 この連載では、江戸の性文化に精通した筆者がこれらを紐解き、江戸の男女の性をめぐるやりとりを再現、江戸時代の男女のリアルをお届けします。

 

江戸では拝礼の対象だった金精神

 張形(はりかた)という言葉を見たり聞いたりすると、多くの男が内心、ニヤリとするであろう。欲求不満の女、あるいは淫乱な女がすぐに連想されるからだ。

 江戸城の大奥は男子禁制のため、奥女中は張形でなぐさめている、後家は男に飢えているので張形を常用している、などなど。ただし、この連想は、ばれ句(好色川柳)や艶笑小話で植え付けられた面が大きい。

 張形は鼈甲(べっこう)や水牛の角(つの)で作った疑似陰茎である。鼈甲も水牛の角も、長崎にもたらされる輸入品だったので、張形は非常に高価だった。

 もちろん、張形を性具として用いる女もいたであろうが、一般には拝礼の対象だった。つまり、金精神(こんせいじん)だった。金精神の形状は隆々と勃起した陰茎にそっくりである。しかも、実際の陰茎よりはるかに巨大だった。

 江戸時代、妓楼(女郎屋)や芸者置屋、料理茶屋など、広い意味での水商売の店では帳場などに、木製や石の金精神を祀(まつ)っていた。

 そして、主人夫婦はもちろんのこと、奉公人一同が日々、手を合わせて、「われらの商売は金精神さまのおかげです」と感謝し、商売繁盛を祈った。

 図1は、吉原の妓楼の楼主の部屋である。図の右上の棚に金精神が祀られているのがわかる。

 明治になると、近代化を進める政府は西洋人の目を必要以上に気にして、従来のおおらかだが猥雑な風俗を矯正しようとした。

 明治5年(1872)、風俗取締令が施行され、諸所で祀っている金精神はすべて廃棄するよう命じた。

『漫談明治初年』(同好史談会編、昭和元年)に拠ると、横浜では巡査が遊廓の妓楼を一軒一軒、調べてまわり、金精神をすべて押収した。国際港横浜は外国人が多かったので、とくにきびしかったのかもしれない。

 押収した多数の金精神を箱につめ、巡査ふたりがかついで持ち去る。吉田橋のたもとまできたところで、ふたりが相談した。

「こんなものを持ち帰っても、しかたがあるまい。どうせ捨ててしまうのだ」

「面倒だ、ここで捨ててしまおう」

 相談はまとまり、ふたりは橋の上から、「それっ」と、掛け声もろとも、箱にびっしりとつまった金精神を川のなかに放り込んだ。

 ところが、金精神は張子(はりこ)で、しかも立てたときに安定させるため底に鉛が仕込まれていた。水中に沈むどころか、亀頭の部分を上にして川面をプカプカとただよい出した。

 多数の巨大な陰茎が川一面にひろがり、ただよう光景はまさに壮観である。いつしか川の両岸は黒山の人だかりとなり、みな水に浮かんだ陰茎を指さし、やんやの喝采を送る。

 いまさら回収することもできず、ふたりの巡査は橋の上で、「こりゃしまった」と、頭をかかえていた、という。

 金精神を人目につく場所に堂々と祀るのはよい悪いの問題ではなく、文化の違いにすぎない。

 また、少なからぬ西洋人は、しかも教養のある西洋人ほど民俗学や文化人類学の観点から性器信仰に興味をいだいており、必ずしも軽蔑したり、嫌悪したりしていたわけではなかった。明治期の日本人が神経過敏になっていたのである。

性具として登場する張形とは

 では、次に性具としての張形の例を示そう。

●武家屋敷の奥女中が、職人と情事を楽しむ。男が言う。

「もし、どうでごせえやす。張形の味とは、ちっと違えやしょう。おめえさんもまた、平人(ひらびと)と違って格別、何だか知らねえが、雨上がりの道普請(みしぶしん)見るように、素敵と、ねばっこいぜ」

春本『逢身八契』(歌川国貞、文政10年)

 奥女中だけに日ごろは張形で慰めていた、というのが前提になっている。

「平人」は、庶民の女の意味であろう。やはり奥女中は男にとって、特別な存在だった。

 まさに男の妄想を実現した場面と言えようか。

 

●張形の使用法について。

 黒鼈甲、または角(つの)にて作る。紐を付け、腰に付けておこのうもあり。足のかかとへ結び付け、ひとりこれを挿(さ)し入れて楽しむもあり。

春本『枕文庫』(渓斎英泉、文政5~天保3年)

「角」は水牛の角のこと。

 腰につけるのは、女同士で用いる場合。かかとに付けるのは、ひとりで使用する場合である。

こうした使用法を想像するだけで、男はゾクゾクしたに違いない。

 

●女中が姫を慰めようと、

 取り出す鼈甲の張形。姫は見るより笑い顔。

「こりゃ、どうするのじゃ」

「わたしらが、よいことをしてあげるほどに、お待ちやれ」

 と、湯をつぐやら、綿を詰め込むやら、いろいろ支度して、

「さあ、お姫さま、横におなりなされませ」

                       春本『妹背山』(歌川国直)

 湯で湿らせた綿を張形に詰めていた。張形を人肌に温める工夫といえよう。しかし、ここまでの手間暇をかけて張形を利用できたのは、ごく限られた女だった。

 江戸では、裏長屋住まいの女まであっけらかんと張形を使っていたという説があるが、あくまで春本・春画の世界である。

 

図2『春の曙』(北尾重政、安永元年)、国際日本文化研究センター蔵

●図2は、武家屋敷である。左の男女の様子をうかがい、右の女中ふたりが張形を手に、ささやいている。

「今夜はどうも寝付かれそうもないから、秘蔵男を頼みやす」

「わたしにも、ちと貸しておくれ。あれ、睦言が聞こえる。いっそ、どうしようのう」

 張形を秘蔵男と称しているのがおかしい。

 まさに、男が妄想する奥女中の生態といえよう。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)