江戸の男女が実際にどんな会話をしていたのか?
当然ながら録音した音声は残っていないため再現するのは困難…しかし、手がかりはあります。
それは、戯作(大衆小説)の中のセリフです。読み解くと、身分差、男女差、職業差、年齢差などの厳格な社会だったことがわかります。
とくに春本や春画の書入れは、江戸の男女が性をめぐる場面でどんな用語を用いていたのか、どんな言い回しをしていたのかを生き生きと伝えています。
この連載では、江戸の性文化に精通した筆者がこれらを紐解き、江戸の男女の性をめぐるやりとりを再現、江戸時代の男女のリアルをお届けします。
当時の流行語だった「とぼす」
重宝記とは生活全般にわたる実用書だが、『色道重宝記』(安政3~文久元年)に、
開(ぼぼ)をひらいて、その間に魔羅を突っ込む、これ、とぼすなり。
とある。
身も蓋もない表現だが、意味は明確であろう。つまり、「とぼす」は性交のことである。同書は、こうも述べている。
指、くじる。玉茎(まら)を入れれば、とぼすなり。ぼぼへ突っ込む角(つの)は張形。
指を使った自慰は「くじる」と言う、と。角と張形は第7回参照。
春本や春画の書入れでは「交合す」と表記し、「とぼす」と読み仮名を付けることもある。
交合という熟語は、漢字の組み合わせがなんとも絶妙といおうか。
世相を記録した『街談文々集要』(石塚豊芥子編)の文化6年(1809)の項に、こうある。
近来、とぼすといふ言葉流行す、男女交合の隠語也。
江戸時代後期の文化年間には、江戸ではすでに「とぼす」が定着していたようだ。
本来、性に関する言葉は地域差が大きい。だが、おもに江戸で刊行される春本や春画は地方にも流通していったので、「とぼす」も全国に流布していった。少なくとも春本や春画を目にしていれば、地方の人々も「とぼす」の意味はわかったであろう。
夜も昼もわからず、とぼし続ける
では、「とぼす」が具体的にどのように用いられているかを見ていこう。
●借家の大家が、借家人の女房に迫る。
「ひとつ、とぼさしてくだされ。家賃は待って進ぜよう」
「滅相な、お家主さま。旦那が戻られたら、どうしよう」
春本『笑本春のにしき』(北尾雪坑斎、明和年間)
大家は借家人の女房に、家賃を「体で払え」と要求していることになろう。女は亭主が戻るのを心配している。
●手燭(てしょく)を持って廊下を通りかかった女中に、男がいどみかかる。
女「これさ、よしなよ」
男「気のきかねえ。そのろうそくを消しや。その代わり、こっちでとぼすからいい」
春本『艶本恋の若』(鳥文斎栄之、天明8年頃)
手燭のろうそくを消し、その代わりほかの物をとぼそう(ともそう)という洒落である。つまり、暗くして、性交をしよう、と。
図1は、手燭をもった女中を男が口説くところである。
●夫婦が昼間から性行為をしている。窓の格子からのぞいた女が、つぶやく。
「ここの内のように、夜も昼もわからず、とぼし続けにする内もねえものだ」
春本『艶本葉男婦舞喜』(喜多川歌麿、享和2年)
図2は、夫婦の性行為を窓からのぞいているところ。ふたりは好き者夫婦として、近所でも有名なようだ。
当時の木造家屋は隙間だらけだった。また明り採りのため、昼間は窓の障子は開け放つのが普通である。そのため、昼間の性行為はのぞき見されても不思議ではなかった。
●腎張自慢の男がさらに続けて、しようとするのを、遊女がいさめる。
「わたいらは、いくらでもさせるが商売だから、かまわねえが、そんなにとぼしたら体に毒だから、もう一丁とぼしたら、ちょっとお休み」
春本『会本婦女録嘉遷』(歌川国丸)
遊女のやさしさといおうか。あるいは、体よく断っているのかもしれない。遊女にすれば、とぼすのはあくまで仕事である。同じ料金で何度もするのは割に合わないであろう。
●東海道の小田原宿で、昼間から交わっている男女。
男「小田原提灯(ちょうちん)といって、ここは、とぼすことが名物だ」
女「それでも昼間、とばすのは、おかしいじゃあないか。いっそ明るくって、気恥ずかしいようだよ。ああ、どうしよう、ふんふんふんふん、ああ、いいわなぁ、いいわなぁ、それ、いくよ、いくよ」
春本『旅枕五十三次』(歌川国盛、幕末期)
性交の「とぼす」と、提灯を「とぼす(ともす)」を掛けている。
小田原提灯は、不用の時は折りたたんで腰に差し、使用する時は伸ばして用いられるようにした、細長く小さな提灯。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)