
ライブ会場で浴びる大音量の音楽は、ファンにとって忘れがたい体験だ。一方、会場の外まで届いた音は近隣住民にとって「騒音」となり、音漏れ問題に発展することもある。
たとえ法律やルールに反していなくても、倫理的にはどうなのか? 社会に受け入れられるかどうかは別ではないか? 公共空間の音をめぐっては、ルールだけでは捉えきれない課題がある。
注目を集める技術や社会の動きに関する倫理的・法的・社会的課題──「ELSI(エルシー)」の考え方をひも解く連載「ELSI最前線」。今回は、音楽学・文化政策学等を専門とし、産学連携の研究にも取り組む肥後楽氏が、ストリートピアノを例に挙げながら「まちに音楽が流れること」の影響や課題を考える。(第1回/全3回)
💡この記事のポイント
- ライブ会場の音漏れ問題にみられるように、聴く場所・状況・聴き手によって同じ音楽であっても「心地よい音楽」にも「騒音」にもなり得る。
- 社会には音に関する法律・ルール・規範が存在するが、規制だけでは解決できない問題がある。
- 「まちに音楽が流れること」がもたらす影響を考えるヒントとして、ストリートピアノを巡る炎上事例に注目する。
公共空間の音楽のELSI(全3回)
大阪大学社会技術共創研究センター特任助教。博士(文学)。専門は、音楽学、文化政策学、協働形成。ELSIセンターでは「芸術とELSI」に関する探索的研究を推進すると共に、異分野を「つなぐ」人材として人社系産学連携の基盤構築をテーマとした研究に取り組む。最近の業績に「テクノロジーと音楽の結びつき―そして音楽生成AIへ」『フィルカル』9(2),(吉村汐七との共著、2024)、「ELSI/RRIをめぐる産学連携:大阪大学社会技術共創研究センターと株式会社メルカリmercariR4Dの事例から」『ELSI入門』第5章(丸善出版, 2025)など。プロフィール詳細
「心地よい音」と「騒音」を分けるもの
私たちは、日々たくさんの音に囲まれて暮らしている。家の中でテレビや動画を観ていても、通勤や休日の外出でも、意図せず音楽は耳に飛び込んでくる。音楽を耳にせず1日が終わる日の方が珍しいと言って良い。
これらの音楽は、時に私たちを癒したり、気分を爽快にしたりする心地よい音楽となり、また時には私たちの気分を苛立たせたり、不快にさせたりする騒音ともなる。
ライブに参戦し、大音量で好きなアーティストが奏でる音楽を仲間と共に聴くことは最高の体験であり、人によっては一生の思い出になるかもしれない。しかし、同じライブで奏でられた音楽が会場を超え、近隣住民の元に届くような大音量となると、しばしばそれは「音漏れ」「騒音」として忌避されるものに変化する[1]。
つまり、同じ音楽でも、いつ・どのような状況の中で流れているか、誰が聴いているかによって、それが心地よいものか/不快な騒音と受け取られるかは異なってくる。
音の問題はルールだけで解決できるのか
誰もが心地よい空間で生活できるように、私たちの住む社会には音に関して色々な法律やルール、規範が設けられている。環境基本法第16条では、大気の汚染、水質の汚濁、土壌の汚染に加え、騒音についても、政府が人の健康を保護し、生活環境を保全する上で維持されることが望ましい環境基準を定めるものとしている[2]。
国が定めた法律でなくとも、近隣に暮らす住民同士が快適に過ごすためのルールが独自に設けられている場合もある。楽器の演奏に関して独自のルールが設けられている集合住宅に住む人や、音漏れに関する注意喚起が掲示板で貼り出されているのを見たことがあるという人もいるだろう。
では、単純に音の大きさや演奏可能な時間帯だけを制限すれば問題は解決するのかというと、コトはそう単純ではない。音の伝わり方や受け取り方は環境や人によって千差万別であり、しばしばルールを設けて規制するだけでは解決できないような問題も浮上する。
街に飛び出した音楽とどう付き合うか
音楽は、演奏される空間からさまざまな形で飛び出し、私たちの耳に飛び込んでくる。
テクノロジーやSNSの発展により、音楽はより一層ポータブルになり、演奏動画をスマホで簡単に閲覧することができるようになった。
私たちは、生演奏だけでなく色々なところに音楽を持ち歩き、時と場合に合わせて音楽を聴く。著名なアーティストが世界中で演奏する様子を、私たちはその場にいなくても動画で閲覧し、その場の雰囲気や人々の反応を含めて感じることができる。
音楽を聴く空間の拡張は、バーチャルに起こるだけではない。
街中を歩いていると、歌やバンド、ピアノ、バイオリンなど、様々な楽器による路上演奏を目にすることがある。演奏専用の音楽ホールなどから飛び出して音楽が奏でられている場面に出くわすと、時には「思いがけず素敵な演奏を耳にすることができた」とその場に居合わせたことをラッキーだと感じ、時には「会話が聞こえず迷惑だな」と感じるかもしれない。
大音量の音楽をシャワーのように浴びる体験がたまらなく心地よい場合と、遠くのライブ会場からの振動や音漏れ、路上での演奏がどうにも不快になることとのバランスを、私たちはどのようにとるべきだろうか。
なぜストリートピアノは炎上するのか
こうしたことを考えるための格好の事例としてストリートピアノが挙げられる。
2000年代にイギリスで始まったとされる「路上に誰もが演奏できるピアノを置く」というムーブメントは今や世界中に広まり、国内でも多くの場所にピアノが設置されている。また、ストリートピアノを演奏する様子を映したテレビ番組や動画が人気を博し、さまざまなプラットフォームで公開されている。
見ていて楽しくなるような動画、感動的な内容も多い一方で、ストリートピアノを巡る様々な炎上もまた話題になってきた。
音楽が公共の場で演奏されている、流れている、聞こえてくる、もしくは漏れ聞こえてくることから、私たちは何を考えることができるだろうか。
次回からは、ストリートピアノという音楽実践を例に挙げながら、「まちに音楽が流れること」がもたらす諸影響について考えてみたい。
[1] 例えば2025年7月には、横浜市で行われたMrs. GREEN APPLEの野外ライブをめぐり、遠く離れた場所まで音漏れがあったというSNSへの投稿が相次ぎ話題となった。
「ミセスの野外ライブ 広範囲に「騒音」漏れ、所属レコード会社が謝罪」朝日新聞、2025年7月29日。https://www.asahi.com/articles/AST7X4VGKT7XUCVL04XM.html
[2] 地域によって多少の差はあるが、住宅地であれば日中の音量55デシベル以下、夜間の音量45デシベル以下と規定されている。
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同じ音楽を聴いているはずなのに、心地よい「音楽」にも、不快な「騒音」にもなり得るのはなぜなのか。音楽が公共空間へと広がるなか、その境界線はどこにあるのだろうか。音楽学・文化政策学等を専門とし、産学連携の研究にも取り組む肥後楽氏が、ストリートピアノを例に挙げながら「まちに音楽が流れること」の影響や課題を考える。(全3回)
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