#6 Dialogue with 鈴木隆行(元サッカー日本代表)

(再生時間:23分33秒/聞き手:シンクロナス編集部)

岡崎慎司、聞く。

  DFW(ディー・エフ・ダブリュー)という言葉をみなさんご存知でしょうか。

  サッカー用語で「ディフェンシブ・フォワード」の略で、ディフェンダーを意味するDFとフォワードを意味するFWを掛け合わせた言葉として、インターネット上で使われているそうです。

  実は、その系譜として僕、岡崎慎司の名前も挙がってくるのですが、DFWという新しいポジション(プレースタイル?)を確立したのが、元サッカー日本代表の鈴木隆行さんです。

  隆行さんは今から20年前、2002年日韓ワールドカップの初戦・ベルギー戦で日本代表の大会初ゴールを決めた伝説のFWです。

  現代サッカーにおいては、点を取ることを求められるFWが、前線から献身的にディフェンスをすることは当たり前の時代です。そうしたなか、当時、鈴木さんはなぜFWとして守備をしようと思ったのか、ずっと気になっていました。

  DFWの系譜を受け継ぐ者としてぜひ、その経緯を知りたいーー。そう思って対談をオファーしたところ、隆行さんも「俺も岡ちゃんと話してみたかったんだ!」と言ってくださり、対談が実現しました。

  新旧日本代表FW対談。前編の今回は、DFW誕生秘話、海外でプレーする必要性などについてお話をうかがいました。
   
 ぜひみなさん、ご覧ください!

DFWのプレースタイルはなぜ生まれたのか?

 新旧日本代表FW対談・前編。DFWの先駆者、鈴木隆行さんはなぜDFWのプレースタイルを確立したのか。DFW誕生までの経緯・重要性、海外で生き残るために下した選択など(以下は本編の一部)。
 

岡崎慎司(以下、岡崎) 僕結構インターネットも見るんですけど、ディフェンシブ・フォワード(DFW)っていう言葉は系譜があるみたいで、ネットの中で。鈴木さんがその代表例なんですよ。

鈴木隆行(以下、鈴木) 先駆けみたいな?

岡崎 その中に僕もいるんですよ。

鈴木 なるほど。

岡崎 体を張ってとか、ボール以外の部分で役に立つみたいな、そういう人と話して、子どもや今の選手たちにヒントになるようなことがあるのかなと思って。その気持ちを聞きたいなと思ったんですよね。

鈴木 わかりました、なんでも(聞いて)。

編集部 まさに、そのこと(DFWの先駆け的存在)について、どう思われますか?

鈴木 もう始まってます? これ。

編集部 はい(苦笑)。

鈴木 まず、そういうこと(FWでもディフェンスすること)を始めたのは、鹿島アントラーズに入団して6年目ぐらいのときです。

(高校から鹿島に入団して)本当、それまでまったく出れなくて、いろんなチームに行って、(鹿島に)戻してもらったときに、たまたまチャンスをもらって試合に出た。

 そのとき、守備も絶対に手抜けない状況で。立場的に当然、攻撃も行かなきゃいけない状況だから、必ず全力でどっちもやってて、どれだけ戻っても怒られなかった。

 パートナーが柳沢(敦/現・鹿島アントラーズ・ユース監督)が多くて。柳は前に離しといて、自分はもう本当に後ろまで下がって(プレーしていた)。最終ラインまで下がってディフェンスしても、その当時、(監督は)トニーニョ・セレーゾだったんだけど、怒られなかったの

 むしろ、それを歓迎してくれるような状況で、そこからまた自分が上がって攻撃に参加していくというのが、(DFWの)本当に始まりというか。

岡崎 なるほど。

鈴木 自分が若い頃、当時フォワードが後ろに下がってくるとかは、まだあんまり求められてなかった。

 でも、自分がそうやって後ろに下がって守備したときに、「これ、中盤とか最終ラインの選手をすごい助けているな」っていう感覚があって。

 その助けているっていうことがすごく自分のなかでも嬉しくて。

 当然、攻撃で点数を取るのもよかったんだけど、守備も走れればできるから。けっこう体力には自信あったんで、すごく下がって守備をしていて、それによってチームがうまくいっていた。

 守備も固くなるし、点数も取られないし。そこからパワーを出して前に行けば、攻撃にも参加できるしっていう形で、いい結果が出てたのが始まりかな。

岡崎 感覚的に、チームメイトからは「ありがとう」的なのも結構出てきていたとか。

鈴木 言葉では言われていなかったけどね。

岡崎 「ナイス!」みたいな。でも、そういうのはあるじゃないですか?

鈴木 でも、試合中、自分で分かるじゃん?

岡崎 はい。

鈴木 戻ったときに自分がいい守備してあげたりとか、追い込んだりとかすると、楽になってボール取れるので。

岡崎 そこでそのあと(ボールを)取って。けど、体格がいいじゃないですか?

鈴木 はい。

岡崎 本当だったら張るタイプじゃないですか?

鈴木 そうだね。

岡崎 それがすごいですよね。

鈴木 あのね、柳沢って体力なかったの(苦笑)。

岡崎 そうなんですか?

鈴木 その当時、俺は体力あったんで、結局走ってもそんなに疲れなかったの。それで守備にもけっこう走って、後ろに戻っても前に出て行くパワーがあったから。

 だから、自然とそういう流れになったというか。そういう役割でいくみたいになって、基本的に前で柳沢が張ってて、俺が戻って“つなぎ役”みたいな感じでやるようになって

 すごくうまくいって、その年に全部のタイトルを初めて取った。Jリーグで3冠(Jリーグ・天皇杯・カップ戦)を全部取ってうまくいったから、これで間違いじゃないだろうっていうのは、自分のなかで確信が持てて。

 それから、そういうふうに(DFW として)やるようになったのかな。……続きはフルバージョンで

【動画内容】ヘッドライン

◇DFWの先駆者は鈴木隆行だった☜ピックアップ
◇DFWはなぜ生まれたのか?☜ピックアップ
◇最終ラインまで下がって守備しても怒られなかった☜ピックアップ
◇岡崎慎司と鈴木隆行、似て非なるDFWの系譜
◇サッカーを知っていたらわかるDFWの重要性
◇”つなぎ”がないと前にボールが行かない
◇日韓W杯で痛感「このまま日本にいたら絶対無理だ」
◇ゲンクからのオファーは二つ返事で快諾
◇鈴木隆行が海外で生き残るために下した選択
◇FWとしてのこだわりよりプロとして生き残る
◇指導者になった今のほうが100倍サッカーのことを考えている

◆時間:23分33秒

 

次回、dialoguew/#6 鈴木 隆行さん(中編)は
8月24日(水)配信予定です。

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