足軽という言葉の語源はなんだろうか。中国の兵書に由緒を求める徳川時代の説を再検討して、その真偽を確認しよう。その上で、応仁の乱時の京都を見ることで、われわれの認知する「足軽」の成り立ちを追っていく。
神社仏閣を焼き、逃げることを恥とも思わない彼らはどこから来たのだろうか。
歴史家。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(SYNCHRONOUS BOOKS)、『上杉謙信の夢と野望』(KKベストセラーズ)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)など。書籍監修や講演活動なども行なっている。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。
歴史ノ部屋の新着情報は「シンクロナス公式X」にてお知らせいたします。
足軽の語源
今回から「足軽の起源」編に入る。
まずはその語源から見てみよう。
よく知られるところでは、徳川時代の『和訓栞[中編一安]』(1778)に、「あしがる、足軽とかける、西土の書に輕足(けいそく)驃騎(ひょうき)の語あり、古へは斥候の侍をいふにや」とある。
この妥当性から確認する必要がある。ここにいう「西土の書」とは中国を示す。そこにある「軽足驃騎」なる言葉が語源で、昔は偵察の侍のことを示していたというのである。
これは半分事実といえる。実際に、中国の古典『越絶書』(18世紀より建武28年/西暦56年成立説が有力:参考『増訂漢魏叢書 別史第二〇冊』など)を見ると、確かに「……橋舡者、當陵軍之輕足驃騎也」の表現が見える。
前文を含めて意訳すれば、「呉王に水軍の訓練法を尋ねられた伍子胥は『水軍を訓練するなら、楼船(重厚な戦船)は行楼車(移動式の櫓)のように、橋舡(軽量な戦船)は軽足驃騎(素早い歩兵と素早い騎兵)のように扱えばいい』と答えた」となる。
軽足・驃騎とは、素早い歩兵と素早い騎兵の意味である。
また、中国の兵法書『呉子』にも「輕足利兵」の表現が使われている。本文では軽歩兵の運用を述べている。
ただ、もし本当にこれが語源なら、日本の歩兵も「軽足」と呼ばれたのではないかと思う。なぜならわざわざ足と軽を入れ替える必要がなく、そもそもこれと並べて語られるべき他の兵種の呼び名も特に輸入されていない。
すると、これは中国の古典に由来があるとするのは後年の付会で、実際には現場で生じて定着した言葉なのではなかろうか。そもそも「輕足」というのは、古代中国でも滅多に使われない表現で、兵種を示す用語とはされていない。
結論として、たまたま一部の古典に似た言葉がある事実までは認められるが、語源であるとは言えないだろう。
自然な形を考えるならば、次のように想像される。
戦場にある武士や悪僧(僧兵)が、若い身内や(正規兵ではない)自らの従者を軽歩兵として、補助的に運用することになり、通称が必要になった。これらは雑色(主人の雑用を担う従者)などであろう。
平時と異なる役割を担わせるのと、「雑色」以外の者も軽歩兵に編入されるため、わかりやすい呼び名として、一時的に「足が軽い者たち」という意味で、「足軽」が選ばれたのではないか。
もちろん当時は「軽歩兵」なる用語もなく、また、彼らを正規の兵として認めるのに抵抗があって、兵の響きからやや遠い表現となったものと思われる。
私的な推定に過ぎないが、およそこのように解釈しておくのが妥当だろう。
平安末期までと、足利時代からの足軽の違い
次に、史料に記された「足軽」の文字を追跡してみよう。...