上杉謙信の姉であり、米沢藩藩祖・上杉景勝の実母である仙洞院。
関東遠征の実相から謙信の本当の人物像に迫った書籍『謙信越山』で注目を集めた歴史家・乃至政彦氏が、謙信の姉の波乱の生涯を、一次史料をもとに解説する。
著者プロフィール
乃至政彦
歴史家。著書に『謙信越山』『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(SYNCHRONOUS BOOKS)、『上杉謙信の夢と野望』(KKベストセラーズ)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)など。また書籍監修や講演活動なども行なっている。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。
乃至政彦
歴史家。著書に『謙信越山』『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(SYNCHRONOUS BOOKS)、『上杉謙信の夢と野望』(KKベストセラーズ)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)など。また書籍監修や講演活動なども行なっている。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。
仙洞院の生年
上杉謙信には、姉がいた。
長尾政景に嫁ぎ、上杉景勝を産んだ女性である。
法名を仙洞院という(戒名「仙洞院殿知三道早大姉」。民間の軍記「仙桃院」「善道院」とも伝える)。
彼女は一般に、戦国の政略結婚に翻弄された悲劇の女性として語られる。だが史料を並べていくと、少し違う姿が浮かんでくる。
まず、彼女がいつ生まれたかから始めたい。
彼女の生年には、二説がある。享禄元年(一五二八)生まれ説と、大永四年(一五二四)生まれ説である。
文献上の記録では、基本的に享禄生まれとされている。だが、『平姓長尾系図』が享禄元年(一五二八)生まれとしておきながら、慶長一四年(一六〇九)に「二之郭」において「八十六歳」で亡くなったとしていることから大永四年(一五二四)生まれ説が生まれた。
この生年なら享年は八二歳となるので、亡くなった時の年齢から逆算するとこちらの年齢になるためである。
ここで参考になるかどうかはともかく、興味深い記録がある。
高野山清浄心院に伝わる『越後過去名簿』の一項だ。...