足軽といえば農民、農民といえば農閑期──この連想はどこから来たのか。
徳川時代の小説『雑兵物語』には三十人の下層兵が登場するが、そこに農業従事者は一人もいない。同時代の辞書、大名の在陣記録、そして動員の損得勘定から、「農兵」という存在そのものを問い直す。
著者・乃至政彦
歴史家。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(SYNCHRONOUS BOOKS)、『上杉謙信の夢と野望』(KKベストセラーズ)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)など。書籍監修や講演活動なども行なっている。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。
歴史家。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(SYNCHRONOUS BOOKS)、『上杉謙信の夢と野望』(KKベストセラーズ)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)など。書籍監修や講演活動なども行なっている。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。
雑兵と足軽の違いから
戦国時代と地続きの豊臣時代の文献として、慶長8年(1603)に長崎で作られた『日葡辞書』がある。
宣教師が活用するために編纂されたポルトガル語の日本語辞典だ。ここに「足軽」「農兵」「百姓兵」を検索してみたが、これらの語句は見当たらず、ただ「雑兵」の項のみが認められる。
もっとも、辞書に項がないことは、その語や存在がなかったことの証明にはならない。編纂者が採録しなかっただけかもしれず、宣教師たちの関心の外にあっただけかもしれない。ここで言えるのは、「足軽」について、外部の観察者による客観的な説明を拾うことができない、ということに過ぎない。
ただ、そう考えて他を当たってみても、事情はあまり変わらないのである。宣教師の書簡類を完全に博捜できたわけではないが、たとえばルイス・フロイスが天正13年(1585)に著した『日欧文化比較』にも、今日イメージされるような雑兵・足軽──農具を置いて駆り出され、粗末な装備で戦場を埋める兵──への言及は見出せない。日本人の武具や戦い方の違いを、あれほど細かく書き留めた彼がである。
その上で、唯一の手掛かりとなる「雑兵」の項を見ておこう。
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