友野一希 撮影/積 紫乃

オリンピックイヤーということもあり、さまざまなドラマのあった2025-2026シーズン。選手たちはどんな思いだったのか?

電子書籍『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』(日本ビジネスプレス刊)の著者である松原孝臣さんが注目選手に振り返りと、次のシーズンの展望を伺いました。

今回は男子シングル、友野一希選手です。

●友野一希インタビュー(前編)はこちら

この記事は2026年5月2日、「JBpress」に掲載されたものです。

「続けられる権利を手放すというのはもったいない」

 2025年12月の全日本選手権を終えたあと、友野一希は速やかに競技生活の続行を決めた。

 そこには、これまでの競技人生で味わった思いもかかわっていた。

「(2018年の)世界選手権に出たとき、自分は金銭的にもシビアで、この先はマックスでやっていくのは難しいんじゃないかな、というところがありました。でも世界選手権の結果(5位)を受けて、セントラルスポーツさんにサポートしていただくことができるようになって、次のオリンピックシーズンまでスケートを続けられるようになりました」

 その北京オリンピックシーズン終了とともに、スポンサー契約が終わり、再び岐路に立たされた。

「もう終わりかな、ちょっと難しいかな、とも思いました」

 それでも時間をかけて、自ら営業するなどの努力もあって支援を広げていった。

「最初は泉州工機さんがサポートしてくださいました。そして(現在の所属先である)第一住建グループさんをはじめサポートしてくださる企業さんたちがいて、ここまで来ました」

 そしてこれまでと異なる状況があった。

「オリンピックシーズンが終わると、ふつうは契約満了になったりして、僕も苦労した部分だったんですけど、今はサポートを続けてくださっています。ほんとうに幸せだなと思うし、続けられる理由と環境が巡ってきて、続けられる権利を手放すというのはもったいないな、と思います」

 競技ができることが当たり前ではないこと、だからその環境があることを「幸せ」だと感じている。

 その歩みをあらためて知ると、契約終了で危機に陥っても、節目で、競技が継続できるかどうか、環境面の問題と直面し、その都度支援が現れ、継続することができたことが分かる。

「やっぱりちゃんと目の前のことにしっかり向き合っていたからかなとは思っていて、チャンスが巡ってくる位置にはいました」

 そのあとに、付け加えた。

「でもさすがに運がいいな、と思っています」

 運では片づけられない。友野の先の言葉の通り、スケートと向き合う姿勢あればこそにほかならない。

 また、スポンサーとして支援する企業には、スケートと、そもそもスポーツ支援と接点がなかったところもある。そうした企業が手を差し伸べたのは、友野の人となりに理由があったのではなかったか。

戦い抜いたからこそ出せるすごみ

 今、友野はこれからを見据える。

「オリンピックに行けなかったですけど、自分の力でしっかりやってしっかり負けて、というのを経験できたのがほんとうによかったなと思います。今までもたくさん苦しい経験をしてきたけど、今回も『あのとき悔しい思いをしたから今があるよね』って言えるようにまた頑張れたらなってすごい気合が入ります」

 競技としてとことん向き合っての思いもある。

「フィギュアスケートは人が採点する競技で、なんて言ったらいいですかね、技術の方向にいろいろな系統があって、何をもって上手か、人によって基準が違うのが僕は面白いなと思っています。ジャンプを跳ぶのがいちばんいい、という人もいれば、いやいや、僕はスケーティングを磨きます、みたいな選手もいますけど、その中でも競技者として戦い抜いたからこそ出せるスケーターとしてのすごみがあるなと感じています。

 どれだけスケーティングとか練習できれいでも、どれだけフロアダンスでトップ選手より踊れても、氷に立ったとき、競技をやり抜いた方の演技には勝てないと思って、それはやっぱり競技者としてやりきった、自分自身を磨ききった人にしか得られない表現だったり、すごみがあります。かおちゃん(坂本花織)とかほんとうにそうですけど、坂本花織にしか出せないクロス1本、ダブルアクセル1本を見ただけで見に来てよかったなと思うし、りくりゅう(三浦璃来/木原龍一)とか立っているだけで、2人で滑っているだけで涙が出てくる。自分もそのすごみに触れるだけのことができたらな、と思っていて、だからこそ競技と向き合いたいという気持ちがあります」

 これまで多くのアイスショーにも出演し、そこでも観客を魅了してきた。大切な舞台にも思いを馳せる。

「例えば僕がバレエを初めて見に行ったとき、どれだけコンクールで優勝したとか言われても正直、分からないじゃないですか。でもなんとなく見ていて、この人すごいなとか、この人すごい迫力ある、なんか雰囲気違うとか、感じると思うんです。スケートも同じように、人としての、やり切ったからこそのすごみというのがアイスショーは特に出ると思っています。

『あの選手、なんかすごい楽しくてよかった、楽しいだけじゃなくて技術もあって印象に残るな』って思ってもらえたらいいな、というのが、自分のアイスショーでのモチベーションです。競技をやりきればアイスショーの舞台でもそういう表現ができるようになるかなと思っています」

生き様を見せていきたい

 

 そして新たなシーズンへ思いを馳せる。

「今までいろいろなジャンルに挑戦してきて、全然もっとやりたいプログラムがあります。ショートプログラムは継続で決定しているんですけど、フリーは、いろいろなジャンルに挑戦してきたからこそ原点回帰というか、何をもって自分の魅力とするかというのはあるんですけど、みんなが思う自分らしさを出しつつ、成長が見えるようなプログラムができたらなとは思います。

 自分がやりたいと思ったことに対してどれだけやったか、やりきれたか、何をしてきたかというのがシンプルに氷に表れるのが生き様かなって思っています。その生き様を見せていきたいです」

 いつも粘り強く、取り組んできた。ジュニアグランプリシリーズに初めて出場したのはジュニアに上がって5シーズン目のこと。全日本選手権の表彰台に初めて上がったのは10度目の出場となった2022年だ。時間をかけながら、その中で前へ進んできた。「氷上のエンターテナ―」と評される表現者としての姿の一方で、真摯なアスリートとしての姿がそこにある。

「別にスピリチュアルなわけじゃないけど、スケートの神様がやめさせてくれない感じがあります」

 と、友野は笑う。

 ここから進む先に、氷上に繰り広げるのはどのような世界だろうか。

 自身のさらなる成長を信じて、新たな一歩を、踏み出していく。

●友野一希インタビュー(前編)はこちら

 

*JBpressでの連載「フィギュアスケートを支える人々」(2024年8月30日公開までの一部)と、書き下ろしを含む電子書籍『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』(松原孝臣著/日本ビジネスプレス刊)が発売中です。

 冬季オリンピックが開催されるたびに、日本でも花形競技の一つとして存在感を高めてきたフィギュアスケート。日本人が世界のトップで戦うのが当たり前になっている現在、そこに至るまでには、長い年月にわたる、多くの人々の努力があった——。

 日本人がフィギュアスケート競技で初めて出場した1932年レークプラシッド大会から2022年北京大会までを振り返るとともに、選手たちを支えたプロフェッショナルへの取材を掲載。

 プロフェッショナルだからこそ知るスケーターのエピソード満載。

 さらに、高橋大輔さんの出場した3度のオリンピックについての特別インタビューも掲載されます。

 フィギュアスケートファンはもちろん、興味を持ち始めた方も楽しめる1冊です。

 

『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』
著者:松原孝臣
出版社:日本ビジネスプレス(SYNCHRONOUS BOOKS)
定価:1650円(税込)
発売日:2026年1月20日

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