友野一希 撮影/積 紫乃

オリンピックイヤーということもあり、さまざまなドラマのあった2025-2026シーズン。選手たちはどんな思いだったのか?

電子書籍『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』(日本ビジネスプレス刊)の著者である松原孝臣さんが注目選手に振り返りと、次のシーズンの展望を伺いました。

今回は男子シングル、友野一希選手です。

●友野一希インタビュー(後編)はこちら

この記事は2026年5月2日、「JBpress」に掲載されたものです。

 

 4年に一度しかないシーズンが終わり、ひとときの時間が経った今。

「一生忘れることのない1年だったなって思います」

 友野一希は、2025-2026シーズンを振り返る中で、かみしめるように言葉にした。

 友野にそう実感させたのは何だったのか。その時間を過ごして、これからをどう考えているのか――。

「ほんとうに幸せな時間でした」

 2025年12月20日。全日本選手権男子フリーの演技を終えたあとの表情と言葉は忘れがたい。

「ほんとうに幸せな時間でした」

 涙ながらに、でもどこかさっぱりしたかのように思える表情とともに、友野は語った。

 ミラノ・コルティナオリンピックのフィギュアスケート日本代表の最終選考大会だった。代表の枠は3。4年に一度の大舞台を目指す一人として、友野も大会に臨んでいた。

 友野は第一線に長年、立ち続けてきた。2017-2018シーズン、NHK杯に出場したのを皮切りに毎年グランプリシリーズに参戦。世界選手権や四大陸選手権にも出場している。何よりも、個性あふれる演技とともに、スケート界に強い存在感を示してきた。

 迎えたオリンピックシーズン、代表選考は佳境を迎え、全日本選手権が幕を開ける。

 友野はショートプログラム(『That's It(I'm Crazy)』)で、スピンでの思わぬ転倒があったものの4位につける。

 迎えたフリー。曲は『Halston』。

 最初の4回転トウループで転倒する。続く4回転トウループも着氷で乱れ、事前に予定していた連続ジャンプにすることはできなかった。その後もジャンプで苦しみ、フリーは7位、総合では6位で大会を終えた。

 結果、オリンピック代表には届かなかった。それでも、後悔を感じさせないたたずまいが試合後にあった。

2025年12月20日、全日本フィギュアスケート選手権、男子シングル、フリーの演技を終えた友野一希 写真/長田洋平/アフロスポーツ

 あれから4カ月ほど経った今、あらためて友野は語る。

「ほんとうに充実したシーズンだったと思います」

 表情が言葉の真実を物語っていた。

「ここまでやれるんだ」

 友野は、シニアに移ってから平昌オリンピックのあった2017-2018シーズン、北京オリンピックの2021-2022シーズンと、過去に2度、オリンピックシーズンを過ごしている。今回で3度目であったが「今までと全く違いました」と言う。

「心の底からオリンピックに行きたいと思って、行けると思って取り組んだのは初めてでした。今まではチャンスがあってもさすがに難しいんじゃないかなという気持ちもあったんですけど、そういう気持ちは一切なかった1年でした」

 毎年、スケートとまっすぐに向き合ってきた。そのうえで、オリンピック出場を目標に据えて、「これまでにない」と実感できるくらい、スケートに打ち込んだ。「ここまでやれるんだ」と限りない充実があった。

「それは発見でもあったし、年齢的にはベテランって言われてますけど、意外と体は動くし、なんなら今年がいちばん練習もたくさんできて、ほんとうに1年間、ずっと元気でした。すると逆に体が素直になってくれて、しんどいときはしんどいって体が言ってくれるし、体と向き合う時間が増えて動きだったり、1つ1つの日々の過ごし方だったり、洗練されていっているような感覚でした」

 そしてこう語る。

「辛いということも一切なかったですね。体の調子とか、苦しいこともあったんですけど、ほんとうに毎日上手くなっていく自分がすごく感じられました」

 1年間、やりきったと感じられる日々を過ごした。その過程があるからこそ、結果がどうあれ、充実した1年と言い切れた。

 現在27歳の友野は、他競技と比べても競技人生の短いフィギュアスケートの世界では「ベテラン」として捉えられる。でも、成長する喜びを実感した。それも充実をもたらした。

「成長」は、ただ友野自身が得た感覚だけではなく、体現されていた。ジュニアの頃から「踊れる選手」として注目されていたが、この数年でも、進化の跡は氷上に表れていた。全日本選手権のフリーでも、すべてのジャンプを終えたあと、場内を引き込んだステップとコレオは象徴だ。それは努力に裏打ちされたスケーティングに支えられていた。

 演技をする友野に対して、観客席からは友野の英名の記された無数の赤いバナータオルが掲げられていた。場内を赤く染めたその光景は、励ましであるとともに、1年の、これまでの歩みを称え、労うかのようだった。

まだまだ成長できる

 

 シーズンが始まる前、友野は「集大成」と位置付けていた。でも、充実した日々を過ごすうちにつれ、心境にも変化があったと言う。

「オリンピックシーズンを過ごしていくうちに、こんなに動くんだ、どんどんできるんだ、という自分を発見しました。最初は終わるつもりでやっていたんですけど、これ、続けた方がいいなっていうくらい成長を感じたので、途中からは、オリンピックに行ったら行ったで、その後も1年ぐらいフィギュアスケートをいろいろな視点から見ながらやりたいなっていう風に軽く思っていました」

 まだまだ成長できるという実感とともに、そうした下地もあった。友野は全日本選手権終了から間もなく、競技生活の続行を決めた。最初に報道されたのは今年1月2日のことだ。

「シーズン中、やろうかな、という気持ちが芽生えてきて、あの結果を受けて本格的にやろう、と。そんなに迷いはなかったですね。

 これだけ悔しい思いできたからこそ、一生忘れることがないし、オリンピアンというものにならなくても、どれだけ自分を高めていけるかというのに気づけたきっかけでもあったので、フィギュアスケーターとして全力でやれたらな、と思っています」

 競技続行を決めた経緯を友野は語った。

 そして決断の裏には、競技人生で味わった別の思いもあった。(後編に続く)

 

*JBpressでの連載「フィギュアスケートを支える人々」(2024年8月30日公開までの一部)と、書き下ろしを含む電子書籍『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』(松原孝臣著/日本ビジネスプレス刊)が発売中です。

 冬季オリンピックが開催されるたびに、日本でも花形競技の一つとして存在感を高めてきたフィギュアスケート。日本人が世界のトップで戦うのが当たり前になっている現在、そこに至るまでには、長い年月にわたる、多くの人々の努力があった——。

 日本人がフィギュアスケート競技で初めて出場した1932年レークプラシッド大会から2022年北京大会までを振り返るとともに、選手たちを支えたプロフェッショナルへの取材を掲載。

 プロフェッショナルだからこそ知るスケーターのエピソード満載。

 さらに、高橋大輔さんの出場した3度のオリンピックについての特別インタビューも掲載されます。

 フィギュアスケートファンはもちろん、興味を持ち始めた方も楽しめる1冊です。

 

『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』
著者:松原孝臣
出版社:日本ビジネスプレス(SYNCHRONOUS BOOKS)
定価:1650円(税込)
発売日:2026年1月20日

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