宇野昌磨のサインが入ったスケート靴と「YS BLADES」 撮影/積紫乃

2026年2月、イタリアで開幕するミラノ・コルティナオリンピック。

冬季オリンピックが開催されるたびに、日本でも花形競技の一つとして存在感を高めてきたフィギュアスケート。

日本人が世界のトップで戦うのが当たり前になっている現在、そこに至るまでには、長い年月にわたる、多くの人々の努力があった——

日本人がフィギュアスケート競技で初めて出場した1932年レークプラシッド大会から2022年北京大会までを振り返るとともに、選手たちを支えたプロフェッショナルの取材をまとめた電子書籍『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』(松原孝臣著/日本ビジネスプレス刊)が2026年1月20日(火)に発売。

今回はその中から、スケート界に革命を起こしたブレードを製造に携わる「山一ハガネ」を紹介します。

【ブレード製造 山一ハガネ】スケート界に革命を起こしたブレード(前編)

 

絶対いいものを作って満足してもらおう

「YS BLADES」は、フィギュアスケートの世界ではすでに名の知れた、一定以上の存在を示す製品として定着した感がある。

 ただ、決して広いとは言えない市場にあって、採算は簡単なことではなく、企業である以上、収益は考慮するはずだ。

 スタートから開発を担ってきた山一ハガネの石川貴規は言う。

「ようやく事業として成り立つかな、くらいですね。付加価値というか企業価値、宣伝効果などを含めるとものすごく効果が出ています」

「ただ、うちは材料を持っています、加工もできます、処理もできます、と、全部自社でできる強みがあるのでなんとかやれています」

 同社ならではの強みがあったことに加え、続けてくることができた原動力について触れる。

「卸売事業でずっとやってきて、材料を手がけています。いろいろなところに使われていますけれど、『これは山一ハガネのものだ』という具合には目に見えないですよね。そういう点でやりがいはあります。

 始めるときに社長に言われた言葉も力になっています。『地域や社会への貢献としてやるんだ』『質、コストを落としてたくさん売るよりも絶対いいものを作って満足してもらおう』ということです」

 ただ、企業人として「売らなければいけない」という使命感も抱いている。売れなければ続かないとも考えている。

「我々は売るノウハウがないので、(スケート用品専門店の)小杉スケートさんやアイススペースさんなどに販売代理店になっていただいています。選手がお店の方と話をして、そこからブレードのことを聞いて、使うようになるケースも多いです」

選手に広がるきっかけを作った宇野昌磨

 選手の間に広がったもう一つの要因として、宇野昌磨をあげる。

「やはり、北京オリンピックに『YS BLADES』を使用して出場しメダルを獲った。そのインパクトも大きかったと思います」

 宇野は「YS BLADES」が正式に発表されるよりも前、2021年1月から使用を開始している。

 宇野が使っていたのは、「YS BLADES」の「翔」をベースにしたカスタムモデルだという。

「宇野さんからは細かな要望を多くいただき、宇野さん仕様へ作り込みました」

 結果として、他のスケーターが驚く、異質とも言える独特の形に出来上がったことに、宇野の持つ滑りへの感性や技術がうかがえる。

 ちなみに宇野は2021年に使い始めて、最後にブレードを替えてからは「3年以上、同じブレードを使っていました」。

 1、2カ月しかもたないと言われる中にあって、それも「YS BLADES」の耐久性を物語っている。

「YS BLADES」にはアイスダンス用のブレードもある。宇野はアイスショー「Ice Brave」公演にあたり、そのアイスダンス用ブレードに変えたという。

「そのブレードで4回転ジャンプを跳んでしまうことが驚きでした。現役のときに使っていた『YS BLADES』の『翔』とは、製品的には真逆と言っていいくらい違います。そもそもアイスダンス用のブレードは、ジャンプを跳ばないことを前提としています。それでも跳べてしまうのがすごいですね」

 ブレードにとことんこだわり抜いた競技選手時代。用途は異なるブレードであっても、やすやすと、と表現すべきか、ジャンプを跳ぶ現在。どちらも宇野の一面を物語っているようだった。

木原は開発段階から、三浦は一度試してから

 北京オリンピックでは、木原龍一も「YS BLADES」を使っていた。

 木原は2018年から使うようになった(当時は「KOZUKA BLADES」)。

「開発にあたって、木原さんに鍛えていただいた部分も大きいですね」

 出会いは2017年のこと。ある日、山一ハガネに電話がかかってきた。かけてきたのは木原だった。

「噂を聞きつけたのだと思いますが、『使わせてください』とお話がありました」

 そのあと、木原は1人で山一ハガネを訪ねてきたという。

「木原さんは体格がいいですし、ペアは女性を持ち上げることもありますから、ブレードへの負荷が大きく、よく曲がってしまって困っていたそうです」

 10万円ほどはするブレードの価格を考えれば、頻繁に変えるのは大きな負担だ。そのとき、2018年春の製品発表の前ではあったが小塚や無良らが使用していたブレードの存在と、その耐久性の評判を耳にして、連絡をとってきたのだという。

 そこから始まった交流は、両者にとってプラスとなった。

「まだ開発途中でしたので、体格のいい木原さんに試していただくことで耐久性をたしかめて、それを開発に反映しました。大変ありがたかったです」

 木原もブレードを気に入り、以来、今日まで使い続けている。何よりもその人柄が石川は印象に残っている。

「最初に自分で電話をして1人で訪ねてきたのも心に残っていますし、その後も毎年必ず、『ありがとうございました』と挨拶にいらっしゃっています。怪我をして試合に出られないときがあったり、スケートリンクでアルバイトをしているときもあり、大変な時期はあったと思います。それでも毎年いらっしゃるのです」

 1人で来ていた挨拶は、やがて二人になった。加わったのは三浦瑠来だ。三浦も2020年7月から「YS BLADES」を使用するようになった。

「三浦さんは一度試し、それから使っていただいています。『(木原の)スピードが速いのでついていけないところがあって、ブレードを変えたらついていけるようになりました』と言っていただきました」

 そして二人して毎年、挨拶に来るのだという。

鍵山優真「持っている能力を全部解放してくれるようなブレード」

 2023年4月から使い始めたのは鍵山優真だ。

 山一ハガネが今年実施したインタビューで鍵山はこう語っている。

「初めて『YS BLADES』で滑ったときは、一蹴りに対しての伸び感に驚きました。本来その人が持っている能力を全部解放してくれるようなブレードです。ジャンプもとても飛びやすいですし、自分のスケートの感覚が変わりました。以前はベースプレートがパキッと折れてしまうことが何回かあったのですが、『YS BLADES』に変えてからはずっと元気です」

「(『YS BLADES』に変えてから)スケートの技術が1段階レベルアップしたと思います。細かなエッジさばき・テクニックが今までよりスムーズにできるようになりました。自分のレベルアップにブレードがついてきてくれて、純粋に自分のやりたいスケートに応えてくれるので、ありがたく思っています」

「『自分のスケーティングこんなに伸びたっけ?』と思ったほど、本当によく滑りますし、滑っていて楽しいですし、景色が全然違うと感じました」

 鍵山の言葉は、ブレードへの最大の賛辞でもある。

10年先、20年先も使われていてほしい

山一ハガネの石川貴規氏

 トップスケーターをはじめ、多くのスケーターに使われるようになった現在。

「そういえば、10月下旬に行われた西日本選手権では、シニア、ジュニアのアイスダンスも実施されましたが、ほぼほぼ、うちのブレードだったんです。とてもありがたいなと思いました」

 と笑顔を見せる。

 そしてこう語る。

「私はもうすぐ48歳になるのですが、10年ちょっとで60を迎えると、私はいなくなるじゃないですか。そのときに残っていてほしいですよね。10年先も20年先も使われていてほしいですね。フィギュア界になくてはならないものであってほしい、そういう思いがあります」

 企業人として収益も心に留めつつ、選手のためにという思い、そして製品の質への自負と誇りが込められているようだった。

【ブレード製造 山一ハガネ】スケート界に革命を起こしたブレード(前編)

 

 

『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』
著者:松原孝臣
出版社:日本ビジネスプレス(SYNCHRONOUS BOOKS)
定価:1650円(税込)
発売日:2026年1月20日