冬季オリンピックが開催されるたびに、日本でも花形競技の一つとして存在感を高めてきたフィギュアスケート。日本人が世界のトップで戦うのが当たり前になっている現在、そこに至るまでには、長い年月にわたる、多くの人々の努力があった——。
日本人がフィギュアスケート競技で初めて出場した1932年レークプラシッド大会から2022年北京大会までを振り返るとともに、選手たちを支えたプロフェッショナルの取材をまとめた電子書籍『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』(松原孝臣著/日本ビジネスプレス刊)が2026年1月20日(火)に発売されます。
本書では高橋大輔さんに出場した3度のオリンピックについて語っていただきました。
今回はその一部を公開いたします!
バンクーバーオリンピックで日本・アジアの男子選手としては史上初の表彰台となる銅メダルを獲得したのを含め3大会に出場し、そのすべてで入賞。世界選手権でも日本・アジア男子選手初の金メダルを獲得するなど、長年にわたり第一線に立ち続け、高橋大輔は日本男子の新たな歴史を切り拓いてきた。
シングルのみならず、アイスダンスでも、挑戦してわずか3シーズンで世界選手権に出場し11位、日本最高タイの成績を残すまでに至ったことも特筆される。
2023年に引退後、プロフィギュアスケーターとしての活動を中心に幅広く活躍する高橋が、オリンピックシーズンが進む今、3度のオリンピックを中心に振り返り、そしてこれからを語った。
「知らず知らずにオリンピックを目指すようになっていた」
——最後にオリンピックに出場した2014年のソチ大会からもう11年になりますね。
「そうか、そんなになるんですね」
——あらためて振り返ってみて、オリンピックはどのように意識していたのでしょうか。
「僕自身はオリンピックへの憧れとかオリンピックに出たいというより、スケートが楽しくてスタートして、知らず知らずにオリンピックを目指すようになっていたという形でしたね」
——スケーター、あるいは他の競技の選手を取材してきて、オリンピックへの憧れから競技を始めた人はけっこう多い印象がありますが、違うんですね。
「そうですね。自分がオリンピックに行けるとも思わない中で知らず知らず楽しく、というか淡々とやっていました。その中で成績が出るようになっていき、日本スケート連盟の方だったり、いろいろな方だったり、注目していただくうちに『これはオリンピックに行かなきゃいけないのかな』というか、言い方が難しいですけど、行くことをちゃんと考えなきゃいけないのかな、と意識するようになった感じです。自分自身はオリンピックまで行けるとも思ってなくて、『行けたらいいですね』って言っていた言葉が、よりリアリティを増してくるという感覚はありました」
——リアリティが増してきたのはいつ頃ですか?
「15歳のとき(2021-2022シーズン)、世界ジュニア選手権に優勝して次のシーズンからシニアに上がることになるんですけど、そのジュニア最後のシーズンはソルトレイクシティオリンピックがありました。全然日本代表になれる感じではなかったんですけど、一応代表の選考基準に入っていて、そのあたりから本当の意味で意識し始めましたね」
——そのあとの2006年トリノオリンピックが目標になった?
「そうですね。ただ、僕が本気で、絶対に行きたいと思ったのは、前のシーズン(2004-2005)の世界選手権が終わったときです」
——オリンピックの国別出場枠がかかった世界選手権ですね。
「大会の前は、世界選手権には本田武史さんも出場していて、本田さんが確実に上位に入るので2枠は獲るだろう、自分は(オリンピック代表の)2枠目に入れればいいと思っていました」
——しかし本田さんは大会の予選で途中棄権となりました。
「出場者は僕だけになって、結果は15位。日本は1枠になってしまったじゃないですか。1枠になった瞬間に、『一つしかないんだ、これを狙うのは相当大変だ。本気でやっていかなければ』と思いました。2枠、3枠あったら、もしかしたら練習で追い込めなかったかもしれないです」
初めてのオリンピック
——そしてトリノオリンピックのある2005-2006シーズンを迎えます。スケートアメリカでグランプリシリーズ初優勝を果たし、グランプリファイナルでは日本男子初の表彰台となる銅メダル。全日本選手権で優勝して、その1枠をつかみとりました。2006年、トリノオリンピックに出場します。初めてのオリンピックはいかがでしたか?
「オリンピックに行くことが目標だったというか。そこまではとても集中してやっていました。もちろん大きな目標として、メダルを掲げていましたけど、後から振り返ってみると、メダルへの思いというのは少し弱かったかもしれないなって思います」
——いざ大会ではショートプログラムで5位につけ、フリーは最終グループの最終滑走で滑ることになりました。
「世界選手権でも滑ったことのない最終グループに初めて入りました。それは周囲に言われて気づいたんですけど、変に自分自身でプレッシャーをかけすぎてしまったというのはあるかもしれないですね。後で映像を観たら体は全然動けていたのに、演技が始まった瞬間に『動いていない』と感じてしまって、『やばいな。動かない、どうしよう』と焦りに変わってしまいました」
——フリーは9位。最終的に8位という成績で大会を終えました。大会で得たことがあったとしたら、どのようなことでしょうか。
「トリノでは荒川静香さんが女子で金メダルを獲りました。荒川さんと合宿も一緒にやっていて、オリンピックに行く前とメダルを獲ったあとの姿を見ていて、こんなにも環境が変わるんだと変化を目の当たりにしました。オリンピックでメダルを獲るというのはこういうことなのか、悔しい、と感じたし、そこから自分の言葉も変わってきたと思います。インタビューでも『いい演技ができればいいです』というところで収まっていたのが『優勝したいです。ここでメダルを獲りたいです。負けて悔しいです。あの人に勝ちたいです』、そういう言葉に変わったと思います」
——大きな変化のきっかけになったのでね。
「そこからの僕は、『10年間くらいトップであるためには』という気持ちになりましたし、スケート人生の第2章のスタートと言ってよかったですね」
*続きは『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』(松原孝臣著/日本ビジネスプレス刊)でお読みいただけます。
『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』
著者:松原孝臣
出版社:日本ビジネスプレス(SYNCHRONOUS BOOKS)
定価:1650円(税込)
発売日:2026年1月20日
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