「現代のテクノロジーにも、歴史を使って説明できることがある」。

 早稲田大学の入山章栄教授は、「ブロックチェーン技術」と「株仲間」を例に挙げ、歴史を学び再現する重要性を提示する。

 歴史と経営、ビジネスそして生き方。

 何がどうつながり、生かされるのか。上杉謙信にまつわる歴史を再検証した歴史家・乃至政彦氏の著作『謙信越山』を切り口に、「歴史から得る学び」を丁寧に分解する。

 最終回は、歴史から学ぶ難しさとその奥深さを語り合う。

関ヶ原合戦図屏風(六曲一隻)関ケ原町歴史民俗資料館

アメリカ人は「神話」から学ぶ

乃至政彦(以下、乃至) 入山先生にお聞きしたかったことがあります。アメリカなど経営学が発展している国で「歴史を学び、現代に生かす」文化や意識はどれほどあるのでしょうか。

日本人と大きく変わらないのか、伺いたいです。

乃至政彦(ないし・まさひこ)歴史家。1974年生まれ。著書に『謙信越山』(JBpressBOOKS)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中

入山章栄(以下、入山) 断言できるほどではなくて恐縮ですが、歴史を教養として学んでいる方は多い印象を持っています。

 ただ、彼らの場合は史実というよりも宗教から学ぶことが多く、宗教観が行動に影響する部分が大きいと思いますね。

入山章栄(いりやま・あきえ)慶應義塾大学大学院修了。三菱総合研究所に入社後、2008年に米ピッツバーグ大経営大学院にてPh.D.取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。13年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授、19年より同教授

 例えば昨今は、企業が行う社会貢献活動、いわゆる「SDGs」がトレンドになっていますが、その理由について興味深い話を聞いたことがあります。

 アメリカの企業がSDGsを積極的に導入する理由の一つは「最後の審判」じゃないか、というものです。

 キリスト教では、死ぬ時に天国に行くのか地獄に行くのか最後の審判を受ける。その時に現世で徳を積んでいないと天国に行けないわけですよね。

 彼・彼女らにはそういう宗教観があるので、お金を儲けたら社会に還元しないと天国に行けないと考えているのではないか、SDGsが進む一つの理由にはなっているんじゃないかと考える方がいるんですね。

ミケランジェロの「最後の審判」

 真偽のほどはわかりませんが、宗教、あるいは宗教をきっかけに歴史を捉えていく感覚は日本よりも強い印象があります。

乃至 そうなんですね。日本にいると宗教の影響力はそこまで感じませんが、過去の教訓を生かす文脈で、例えば経営史以外の、例えば文化史や軍事史から経営に取り込まれる文化はあるのでしょうか。

入山 これも断言はできませんが、学際的に交わっている印象はあまりないですね。

 実はわたしもそこにすごく興味がありまして、先ほど少し触れていただいた拙著『世界標準の経営理論』──この本はハーバードビジネスレビューでの連載をまとめたものなのですが──、一つだけ載せなかった章があるんです。

 それが「歴史とテクノロジーと経営理論」という章。

 

 前提として、経営学は「人間を探求する学問」です。ビジネスは人間がやっているので、人間って「そもそもこうしますよね」「組織はこう機能するよね」という基礎的な理論があります。

 であれば、現代のビジネスに起きている現象というのは、昔のことにも当てはまるんじゃないか、と考えた。実行しているのは同じ人間ですから。

 当時、考えていたのは昨今も注目されている「ブロックチェーン技術」についてです。

 技術はもちろん最近のものなんですけど、やっていることは江戸時代の「株仲間」と変わらないのではないか? 株仲間って、わたしの理解では「台帳をシェアする」もの。台帳をシェアするから不正をやらないで、機能する。ブロックチェーンも「分散型台帳技術」と言います。つまり、やっていることの本質は変わらない。

 そんな例が見えてきて、テクノロジーの本質って、過去と変わっていないんじゃないか?と思ったんです。

 大げさに言えば、現代のテクノロジーにも、歴史を使って説明できることがある。逆に言えば、歴史を振り返れば現代の技術力で再現すべきことも見つかるんじゃないかなと最近考えています。

歴史ノ部屋
上杉謙信と織田信長の関係に迫る新シリーズ

乃至政彦さんの書き下ろし新連載『謙信と信長』がメールに届きます。『謙信越山』以来となる待望の新シリーズは毎月1日と15日配信。

 

戦国時代は歴史か、フィクションか

入山 わたしも伺いたかったことがあって、歴史を説明される時、乃至先生はどう考えているのかな、と。

 人間の本質から演繹的に考えてそれを検証されるのか、ファクトベースで積み上げて人間像を描いていくのか。

乃至 私個人のやり方としては、両方同時並行しています。やり方として理論的ではないかもしれませんが、検証を重ねて、事実を並べて、両方の考え方で納得できる仮説をもとに説明する形です。

 いまのお話を伺って非常に面白いと感じました。しかし、株仲間は江戸時代のことなので資料もありますし実際のこととして参考にできますが、実は、江戸時代以前のほとんどの資料が神話めいているので、現実的には他の分野に活かしにくいのではないか、と悩まされるくらいです。

 どのくらい神話めいているかというと、例えば戦国時代の食糧の調達をどうやっていたのかはいまだに全然わかっていません。

(写真:Mary Evans Picture Library/アフロ)

 江戸時代には軍学者という「それ以前の大名はどうやって戦争していたのか」などを研究している人たちがいたんですが、そういった方々の記録を見ると「あれ?」と思うようなことがたくさん書いてある。戦国時代の実体を表しているとは言い難いんです。

 そこを突き詰めないと、過去の経験を経験として生かせない。間違った経験を生かそうとすると、第二次世界大戦の日本人とまでは言いませんが、「桶狭間の奇襲で裏をかいて勝ったんだから同じことをやろう」といって玉砕してしまう。

 過去の事実の裏を取る、歴史を正しく把握しないと、まだまだ世界は間違った行動を起こしかねないと考えています。

入山 なるほど。そういう意味では、エビデンスベース、ファクトを大事にするという感覚が日本は弱いなと思います。

 企業経営もそうですし、政治もそうです。「オリンピックをみんなで乗り越えよう」というのはその典型だったかもしれません。そもそも感染者数が何人だったら緊急事態宣言を止めるのか、数値目標もないですよね。気合いと根性でどうにかしようとしているふうにすら見えます。

 学ぶ時も同様で、しっかりとファクトを抑えていないと間違った意思決定をしてしまう。我々が知っている戦国時代の話も、意外と神話みたいな状態、思い込みを生んでいる側面があるわけですね。

乃至 その通りです。そういった思い込みを改めていって、初めて日本人は長い歴史の経験を継承できると考えています。

 例えばいま、誰もが知っている「関ヶ原の合戦」に関する確からしい情報が目まぐるしく変わっています。

 通説では「石田三成は笹尾山で小早川秀秋の裏切りにあいながら戦った」とされ、反対に「徳川家康は小早川秀秋になんとか裏切らせようと鉄砲を打つなどした」という逸話があります。しかし、これが全部間違いかもしれない、と言われはじめています。

関ヶ原古戦場の石田三成陣跡、笹尾山

入山 「鉄砲を打たれて寝返った」というイメージはすごくあります。事実ではない可能性があるんですか。

乃至 一次史料によると、小早川秀秋は鉄砲で脅されていない。にもかかわらず、江戸時代からその話が出てきて、その後の史料が軒並みそれを踏襲していきました。

 おもしろい話がいつの間にか事実になることってあると思うのですが、まさにそのような感じです。江戸時代の途中から、史料において関ヶ原の像がおもしろいように変えられていって、いまのイメージになっていると思われます。

入山 衝撃です。なるほど、特に歴史の話はフィクションかどうか判断できないまま学んでしまっていますよね。

謙信を学び、現代で再現してほしい

入山 これ、日本のビジネスの現場でも近しい問題が起きているなと感じました。

 例えば稲盛和夫さんが過去にこうしたとか、トヨタがこういうことをやっていますという情報はたくさんあります。確かにやっているのかもしれないんですが、例えばトヨタの方法をそのまま転用してもうまくいくとは限らない。その人、その企業じゃないとできない仕組みがあったりしますよね。

(写真:アフロ)

 経営者の方々はメディアに対しては当然のこととして「良いことばかり」を言いますから、そこを理解して聞かなければならない。

 実際、日本の経営学はまだ「誰々がこんなことを言った」というものが多いんです。世界の経営学の主流は統計学的・科学的に検証するもの、データは嘘をつかないという考えが根付いているのですが……。

 イノベーションの課題に加えて、データやファクトに対する姿勢は日本の明確な課題ですよね。

 データが存在するビジネスの世界でもそうなので、データが正しいかもわからない歴史の世界でファクトを判断して積み上げるのは相当に大変だと思います。それだけでなく面白くまとめていくのは至難の技ですよね。

乃至 ファクトを積み重ねて理論を作る海外の経営の理論に対して、日本だと名言集のようになり、神話めいたものになると。そういった乖離はすごく想像できますね。

 おっしゃっていただいたように、歴史をファクトベースで語ろうとすると、本当に小さい範囲までしかわからないですから、歴史とはなんぞやと突きつけることは本質的には難しい。けれども、なんとか実行していきたいです。

『謙信越山』であれば、せっかく500年前に上杉謙信というものすごい人物がいたんだから、誇るべき日本の資産として活用できるように持っていきたいんです。

入山 非常に共感できます。『謙信越山』を読んですぐに思ったことが、「この本はビジネスに活用できる」「若手社会人や起業家に読んでいただきたい」ということでした。

『謙信越山』乃至政彦・著、好評発売中

 わたしは漫画好きでして『キングダム』(原泰久・作/集英社)に関する取材を受けることが多いんですが、流行っている理由の一つに「世の中が戦国時代になってきているから」という指摘があります。

 いまの社会って、不確実性が高く未来の見通しが立ちにくいことに加え、先頭に立つ一人ひとりの個性が際立ったたくさんの起業家が出てきています。まさに戦国時代の様相です。

 そんなカオスの中にいると、いままで以上に歴史を振り返って自分と重ね合わせたい、何か教訓を得たいというニーズが高まると思うんです。

 ただ、戦国時代は興味を持たれつつも「古い」印象なんです。

 だからいままで日本であまりスポットが当たっていなかった、例えば三国志や『キングダム』の春秋戦国時代に興味が移ってきているんだと思います。

 実際に『キングダム』を読むと、エッジの立った武将がたくさんいて、しのぎを削って戦っている。さらに武将の人生や思考、戦略から学べることがある。ベンチャー経営者の多くの方が『キングダム』を読んでいて、お気に入りの武将までいるんです(笑)。自分は桓騎が好きだとか王翦が好きだとか。

 昔は「あなたは信長派?家康派?」みたいな雑誌企画があったりしましたけど、戦国から春秋に移っているんですね。

乃至 なるほど。日本の戦国時代も同様におもしろさを持っていますよね。得体の知れない、しかも権力を持っている人がたくさん出てきて、情報が少なくて先の見えない世界で、自分で突破口を見つけた人が生き残っていった。

入山 まさにそうだと思います。イノベーターが求められていますし、謙信のようにビジョンを持って突破口を開く人が必要だと、まさにいまの日本のビジネス界に言えることで、すごく示唆がありました。

 理想主義で実力もある謙信がいて、その理想をうまく利用して乗っかる近衛前久がいて、あっさり裏切るとかズルズルいってしまうみたいなものは、ビジネスあるあるです。

 キラキラしているだけじゃない、そういった側面も若い起業家は知りたい部分だと思います。

 日本の戦国時代って、こんなに人が多面的だし、ファクトを積み重ねると色々な苦労が見えるし、深いし、何より一人一人の武将の世界観や成し遂げたいことが違うんだとわかる。

 いままでの戦国時代はステレオタイプになりすぎて「古い」印象でしたが、『謙信越山』を読むと改めてすごく価値があるし、なにより「新しい」と感じました。ぜひ若い起業家に読んでほしいなと思います。

乃至 大変、恐縮です。ありがとうございます。

乃至政彦『歴史の部屋』

 

『謙信越山』の著者による歴史コンテンツ。待望の新シリーズ『謙信と信長』をメールマガジンで配信。さらに戦国時代の文献や軍記をどのように読み解いているかを紹介する音声または動画がお楽しみいただけます。

 

【内容】
1・NewsLetter『謙信と信長』(月2回)
2・『「戦国」を読む!』動画または音声配信(月1回/約10分)
不定期:「歴史対談」「リアルトークイベント」etc..


詳細はこちら