W杯開幕まで約3か月。
「Dialoguew」これまで計13名の欧州の舞台を踏んだ選手、現在ヨーロッパで飛躍している選手にお話を伺ってきた。
日本サッカーがより発展していくために何が必要なのか。
今回は小川航基選手、町野修斗選手、横田大祐選手、渡辺剛選手へのインタビューを、「プロサッカー選手の親の関わり方」という視点で振り返る。
文・シンクロナス編集部
「楽しいサッカーか、上を目指すのか、親に聞かれた」(小川航基)
日本代表13試合10ゴールと高い決定力を発揮している小川航基選手は、小学校6年生、進路を決めるタイミングで「楽しいサッカーか、上を目指すのか」ご両親の部屋に呼び出されて聞かれたという。
「楽しいサッカーか、上を目指すのか」
「楽しいところに行きたい気持ちも心の底にちょっとあったんですけど、それを言いたくない自分もいて、上を目指したいっていうことがかっこいいと思って」
最終的に名門チーム「大豆戸FC」でプレーすることに。セレクションの手続きも親がサポートしてくれたという。
このときの親の問いと、小川選手の決断がなければ日本屈指のストライカーは生まれなかったかもしれない。
自分で考えたトレーニングで左足が蹴れるようになった(町野修斗)
幼稚園の頃からほぼ毎日ボールを蹴っていたというボルシアMGの町野修斗選手は、チームの練習だけでなく、自らトレーニングメニューを考案していた。
例えば、指導者であった父から「両足蹴れたほうがいい」という助言をもらうと、利き足とは逆の「左足」のキック練習に挑戦。
「最初は全く飛ばなかった」というレベルからスタートし、その理由を自ら考え、「右足と同じフォームで蹴れば飛ぶんじゃないか」と仮説を立てて実践。まずは鏡の前でボール無しの素振りから始め、練習を続けることで左足のキックを習得したという。
「毎試合ビデオを撮ってもらっていた」(横田大祐)
「Dialoguew/」では、Jリーグを経ずに、欧州に挑戦している選手にもインタビューしている。
U-12の頃から川崎フロンターレのアカデミーで研鑽を積み、ラトビア、ポーランド、ベルギーを経て、現在ドイツ2部のハノーファー96で活躍する横田大祐もその一人。
そんな横田選手へのインタビューでは、お父さんの関わり方について「現地で口出しをされたことはないけど、毎試合ビデオを撮ってもらっていた」と語っている。
メッシが好きだったという横田選手は、子どもの頃から欧州トップリーグのプレーをご両親がみせてくれていたという。その映像を見ながらトップレベルの選手からパスのタイミングや、ドリブルで相手を抜く方法を学び、さらに自身のプレー動画を見て、自身のサッカーを確立していったとのこと。
ただ家に帰ってからは、親に質問を投げかけられたという。
「最初は「うるさいな」と思いつつ、言い訳という側面もありながら答えていくうちに、自分の中で考えが整理されて、「次はこうしようという絵が浮かぶようになった」
欧州トッププレーヤーの技術、自身のプレー映像、そして親の問いかけが、ドイツで奮闘する「挑戦者」を育んだのだろう。
『休んでいると「自主練しなさい」と言われた』(渡辺剛)
ここまで子どもの自主性に任せている親が多かったが、最後の渡辺剛選手と親御さんのエピソードは、毛色が変わってくる。
浦和レッズとFC東京のスクールを掛け持ちしていた渡辺選手。
そんな渡辺少年が練習から帰ってきたとき「休んでないで外でボールを蹴ってきなさい」と親に言われたという。
小学生から続くハードな日常は中学も続き、FC東京U-15に所属しながら、通っていた中学校の部活動もこなしていた渡辺選手は、練習から帰ってきた後も自主練を欠かさなかったという。
ただ、最初は半強制だったハードな日常とご両親の教育のおかげで、高校時代の寮生活を苦に感じなかったという。
そんな子ども時代の環境があったからこそ、日本代表との縁がない時間を経て、オランダ屈指の名門でスタメンとして活躍し、日本代表に必要なメンバーとして数えられるまでになったのではないだろうか。
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