上杉謙信像(左)と織田信長像

(乃至 政彦:歴史家)

『謙信越山』以降、初のシリーズとなる歴史家・乃至政彦氏の『謙信と信長』が、シンクロナスのコンテンツパッケージ「歴史ノ部屋」のメールマガジン配信にてスタートする。「これまで扱ったテーマの中でも〈手取川合戦〉は、飛び抜けて難しい」と語る乃至氏だが、その理由はなぜか? 資料に基づいた著者の見解を紹介する。

「手取川合戦」はなぜ、難題なのか?

 これまで将門の乱、謙信の越山、本能寺の変、関ヶ原合戦などたくさんの問題に挑んできた乃至氏だが、今回のテーマには苦戦しているようだ。

「これらは学者の先生方による先行研究が多く、そこへ独自の視点で読み解きを加える形で、便乗的に分析させてもらいました。しかし、上杉謙信と織田信長の戦いとされる〈手取川合戦〉はかなりの難題なのですよね」

 天正5年(1577)9月に加賀国で行われた手取川合戦は、上杉軍と織田軍の戦いとして知られている。だが、知名度が高い割にその実態はほとんど何もわかっていない。実在しない幻の合戦ではないかと見る人もいるほどだ。

「何が難しいと言って、この合戦に関する史料は、意外にも多いのです。それなのに先行研究は数えるぐらいしかない。しかも謙信も信長もその研究が現在進行形でアップデートされている最中なので、視点を定めにくいんですよね。研究者や作家の皆さんも苦労しておられることと思います」

歴史ノ部屋
上杉謙信と織田信長の関係に迫る新シリーズ

乃至政彦さんの書き下ろし新連載『謙信と信長』がメールに届きます。『謙信越山』以来となる待望の新シリーズは毎月1日と15日配信。

 

通説が間違っている?

手取川合戦場

乃至氏に、現段階で説明できることがあれば教えてほしいと聞くと、「詳しくは『謙信と信長』の連載でやりますので——」と言葉を濁しながら、次のことを語ってくれた。

「通説では、信長の重臣である柴田勝家率いる大軍が越前から加賀へ北上しており、いっぽう能登を制圧したばかりの上杉軍も南下していた。これが加賀手取川でぶつかることになるのですが、その直前、勝家の指揮に入っていたはずの羽柴秀吉が、上杉軍との遭遇前に撤退した──と言われています。通説の根拠は、織田信長の一代記である『信長公記』という史料なんですが、よく読むと実はそうではないみたいなんですよね」

 別の読み方があるのだろうか。乃至氏は続ける。

「実は16世紀末の別の史料を見ると、秀吉は撤退していないんです。違うことが書いてある。これをよく読むと『信長公記』と矛盾がない内容であるだけでなく、通説の読み方が間違えていることがわかるんです」

ありそうでなかった、謙信と信長の対比

手取川合戦場の碑

乃至氏が注目する史料では、羽柴秀吉が織田軍の撤退を守るため、敵軍を単隊で押し支えたことになっているという。殿軍を務めたというのだ。

「その史料は本編で紹介しますが、どちらも作り話ではないはずなのに、矛盾が生じてしまっている。この謎を解くには信長の家臣団、謙信の個性、そして周囲の状況を掘り下げなければならないでしょう。手取川の実像を探るには、謙信と信長を対比的に見直していくしかない」

 そこで、『謙信と信長』をタイトルとする連載を開始することにしたと言う。これまで『謙信と信玄』(井上鋭夫)や『信玄ト謙信』(春秋蕪城)という謙信と武田信玄と対比する古典的研究書はあったが、信長との組み合わせは意外にも前例がないそうだ。

「なのでタイトルを『謙信と信長』にしました。信長は魅力的な人物ですが、謙信をメインに見ていくとこれまでと違った人物像が浮かび上がるかもしれません。近年の研究成果を中心にオリジナルの視点を交えるので、既存の歴史観と大きく違った景色を披露できることでしょう」

 乃至政彦の新連載『謙信と信長』は、10月1日より販売するコンテンツパッケージ「歴史ノ部屋」のメルマガ配信にて読むことができる。

「リアルタイムに書き進めている最中なので、『つまらない』『面白い』とか、『これは違うんじゃない?』『そこは詳しく知りたい』と思ったら率直にお聞かせいただきたいです。そうしたら、自分もご意見を参考に、根本から見直させて貰います」

 次回は特別に『謙信と信長』の冒頭部分を公開する。

乃至政彦『歴史の部屋』

 

『謙信越山』の著者による歴史コンテンツ。待望の新シリーズ『謙信と信長』をメールマガジンで配信。さらに戦国時代の文献や軍記をどのように読み解いているかを紹介する音声または動画がお楽しみいただけます。

 

【内容】
1・NewsLetter『謙信と信長』(月2回)
2・『「戦国」を読む!』動画または音声配信(月1回/約10分)
不定期:「歴史対談」「リアルトークイベント」etc..


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