桶狭間合戦、関ヶ原合戦など、いまだ謎多き戦国合戦を最新研究と独自の考察で解き明かす『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)​が発売中の乃至政彦氏。連載中の「ジャンヌ・ダルクまたは聖女の行進」、今回は、トゥーレル奪還とオルレアン解放について。

ジャンヌたちフランス王国軍の逆襲は凄まじく、ごく短期間のうちに人数で勝るはずのイングランド軍を劣勢に追い込んだ。しかし、勢い任せの偶発的な優勢であることから、フランス王国軍の指揮官たちはここで慎重姿勢に切り替えることを考えていた。とはいえ、この機を逃したら戦闘はまた長期化する。迷える兵たちを再び導くのは、主戦派の象徴たるジャンヌであった。籠城戦の終局がここに迫る。

オルレアン騎馬像 写真/神島真生

5月6日の夜

 残るイングランド軍は大きな塔のあるトゥーレル砦まで逃げ帰った。

 ここまでの戦いが終わったあと、6日の夜、フランス王国軍はオーギュスタン砦を再び奪われないように砦を拠点に野営した。オルレアン市民も夜通しでパンと食料、葡萄酒を送り届けた。

 この日のことであろう。ジャンヌは、イングランド兵に「アルマニャック派の淫売婦」と大声で罵倒されたことに「ため息をつき、たくさんの涙を流し」た時、天国の王に援助を求めて祈りを捧げて気持ちを落ち着かせた。

 従軍していた巡礼者ジャン・パスクレルは『復権裁判』において、次のことがあったと記憶を証言している。

 普通なら断食をする金曜日であったが、体力の消耗があまりに激しかったのでその日のジャンヌはしっかりと夕食を摂った。食事が終わると、軍議を終えた高名なる騎士がジャンヌのもとへと出向いてその内容を伝えた。

 フランス王国軍には明日すぐにイングランド軍に決戦を仕掛けられるほどの人数がなく、あとは守りに徹してシャルル7世からの援軍を待つのが適切だ──という結論に至ったというのだ。

 そして、「すでに神は充分な戦果を与えて下さった」とも述べた。

 するとジャンヌは、「あなたはあなたの意見を述べましたが、私にも私の意見があります」と答えて、最終的には我々ではなく「わが主の意見」通りの現実が訪れると答えた。騎士たちやジャンヌの意思とは別の結果が待っているというのだ。

「明日は早く起きなさい。そして今日よりも早く、できる限り立派に行動なさい。常に私の傍を離れないでください。明日は私はこれまでにないほどなすべきことが多いはずで、私の胸の上から血が流れることでしょう」

5月7日の戦い

 兵士たちはジャンヌの意見に従って、明け方より攻撃を開始した。激しい矢戦が繰り返されたらしい。...