桶狭間合戦、関ヶ原合戦など、いまだ謎多き戦国合戦を最新研究と独自の考察で解き明かす『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)​が発売中の乃至政彦氏。連載中の「ジャンヌ・ダルクまたは聖女の行進」、今回は、オーギュスタン砦の奪還について。

ジャンヌは、フランス王国軍の全軍の総指揮を取るような身の上にはなかったが、オルレアン市民に歓呼の声をもって迎えられ、その人気が絶大なこともあり、好戦的な指揮官たちにとって、ある意味ではとても都合のいい存在となっていた。ジャンヌはこの機運に乗じるようにして、慎重派の意見を覆して、戦況を塗り替えていく。王国軍はたったの3日で、オルレアンを包囲する砦を続々と占領していったのだ。そしてその最前線にはいつもジャンヌの姿があった

左から、オルレアンのサントクロワ大聖堂と、その中にあるジャンヌの祭壇 写真/神島真生

昇天祭は休戦日と窘められる

 ジャンヌは、オルレアンの兵たちとともに5月4日から夜通しで5日の朝までにサン・ルー砦を奪還した。

 ジャンヌはこの勢いに乗じて即日決戦することを主張した。落とすべきはサン・ジャン・ル・ブラン砦である。

 しかし、ジャンヌの素人采配を危ぶむ者たちは、5月5日はキリスト昇天祭で「休戦日」にあたるとして連続の戦闘を思い留まらせた。

 このためジャンヌはならば明日しかないと考えたらしい。

 ひとまずその日はイングランド軍に「これが最後の勧告です。あなた方が抑留しているジャンヌが派遣した使者ギエンヌを送り返し、早く帰国するように──」という主旨の3度目の勧告状を書き送らせた。

 そして左右の者たちに、「翌朝の早くに告解をするから」と、いつもより早起きをするように命じた。

ジャンヌの指揮下に入る指揮官と兵士たち

 

 オルレアンの『籠城日記』によると、「各兵士たちは翌朝攻撃に必要な武装を整えて待機するよう、各隊長から命令」されたという。

 ジャンヌ→各隊長(各指揮官)→各兵士たちへと上位下達がなされたわけである。もちろんジャンヌが全軍に命令を出すことはできないので、戦友としてその指揮下に自発的に属していくアンドレ・ド・ラヴァル、ジル・ド・レ、ラ・イールなど歴戦の指揮官と、オルレアン民兵の指導者たちである。...