5月12日、伝説のレスラー・ジャンボ鶴田の命日の前日。天龍源一郎氏と藤波辰爾氏、そしてプロレスライターの小佐野景浩氏が「ジャンボ鶴田」を語り尽くすトークイベント「天龍源一郎×藤波辰爾×小佐野景浩トーク&撮影会」が開催される。

 今回は、イベント開催に先立って、小佐野さんに、今回のゲストである天龍源一郎氏と藤波辰爾氏についてお聞きしました。

天龍さんが見せた「一切手を抜かない」姿勢

――小佐野さんから見た天龍源一郎さんについて教えてください。

 全日本を担当していた私が、最も衝撃を受けたレスラーを挙げろと言われれば、迷わず天龍さんの名前を出します。

 1987年に長州力さんたちのジャパンプロレスが全日本を去り、団体は昔の外国人頼みの興行に戻っていました。

 そんな状況に「このままではだめだ」と立ち上がったのが天龍さんです。

 鶴田さんや元横綱の輪島さんとの対戦を直訴し、正規軍から外れて自分たちでホテルを取り、移動も自前でやり始めました。

 とにかく試合がすごかった。

 年間200試合をこなす中で、テレビ中継がない地方の小会場でも、客が数十人しかいなくても、20分以上の試合を全力でやるんです。

 ホテルに泊まらず、試合後すぐに次の試合地に「跳ね立ち」で移動する日でも、わざわざ相手を引っ張って試合を長くしたりする。こんなに一生懸命プロレスをする人がいるんだと、取材者として本当に驚かされました。

 その姿を見ていたのが、当時まだ若かった三沢さんや小橋さんたちです。「こうじゃなきゃいけない」と彼らが感じ取ったものが、後の四天王プロレスにつながっていきます。

 そして鶴田さんが天龍さんの挑戦にちゃんと答えてくれたことで、あの激闘が成立した。もし鶴田さんが「いや、いいよ」と言っていたら何にもならなかった。

「人生観のぶつかり合い」が生んだ最高の対決

87年6・11大阪で4年2ヵ月ぶりに激突した鶴田と天龍

――ジャンボ鶴田さんと天龍さんの対決について教えてください。

 鶴田さんと天龍さんの対決がなぜあれほど熱かったのか。それは単なるプロレスの勝ち負けではなく、人生観のぶつかり合いだったからだと思っています。

 鶴田さんは何年も先を見て、プロレスを辞めた後も人に迷惑をかけない生活のために、現役時代から逆算して準備していた人です。

 不動産の話をよくしていましたが、プロレスの話は取材以外では一切しない。仕事は仕事、と割り切っていた。

 一方の天龍さんは、その日を精一杯生きることが次の日につながる、という人です。目一杯戦い、目一杯酒を飲み、その日その日に全力を注ぐ。

 そして天龍さんは、全日本のピラミッド型の序列では「鶴田の下」とされていたところから、自分の力で這い上がってきました。

 本来ライバルになりえない関係を、天龍さんが崩してきたんです。

「ジャンボ鶴田を本気にさせて、その凄さを世間に知らしめたかった」と天龍さんは言っていましたが、鶴田さんもそれにちゃんと答えた。信頼関係があったからこそ本気の技が出せたんだと思います。

 そして、その根底にお互いが「人として、こいつには負けたくない」という気持ちがあったからこそ、あの試合が成立したんです。

――今回のイベントにはもうひとり、藤波辰爾さんもゲストとして参加されますね。小佐野さんから見た藤波さんはどんなレスラーでしたか。

 専門的になりますが、一言で言うとハイブリッドです。

 16歳で格闘技経験もなく日本プロレスに入って基礎を学び、その後新日本でストロングスタイルの練習を積んで、ヨーロッパ、アメリカ、メキシコを渡り歩いた。

 アントニオ猪木、カール・ゴッチを土台にヨーロッパのキャッチレスリング、アメリカのパフォーマンス的な派手な動き、メキシコの飛び技——それらを全てをミックスさせたスタイルを持って凱旋帰国したのが藤波さんです。

 帰国したのが23歳の頃でしたが、飛び技を駆使した「ドラゴン殺法」が日本では新鮮で、女性ファンが一気についた。顔も端正でしたし、まさにアイドルレスラーでした。

 面白いことに、ゴッチの自宅で鍛えられた当時の体は体脂肪がほとんどなくてブルース・リーみたいでした。そこから飛んだりしていたわけですから、女性ファンがつかないわけがありませんでした。

「俺たちの時代」——プロレス界の世代交代宣言

――長州力が発した「俺たちの時代」という言葉が、今回のイベントのキーワードでもあります。この言葉の意味と背景を教えていただけますか。

 言ったのは長州力で、85年8月5日の大阪城ホールのことです。全日本にジャパンプロレスとして上がっていた長州さんが試合で勝ったとき、「もう馬場・猪木の時代じゃないぞ。鶴田・藤波・天龍、俺たちの時代だ」と言ったんです。

 それがすごいインパクトで広まりました。

 「いつまでも馬場・猪木じゃないだろう、リングの上でも業界全体でも、この四人がトップを取ってよ」という気運がちょうど高まっていた時期だったから、あの言葉がはまったんです。

――長州さんのその言葉のセンスはやはり特別だと思いますか。

 そうですね、藤波さんに対する噛ませ犬発言もそうでしたけど、長州さんは言葉のセンスがある。キャッチーで、時代の空気を一言で切り取ってしまう。それがプロレスというジャンルと非常に相性が良かった。

イベントで語り明かしたい「俺たちの時代」の実像

78年6月、雑誌の企画で対談した27歳の鶴田と24歳の藤波

――5月12日のイベントでは、天龍さんと藤波さんのお二人を迎えてのトークセッションが行われます。どんな話をしたいですか?

 基本はジャンボ鶴田を語ることですが、そこから広げて、「俺たちの時代」というのは本人たちにとって本当にそういう時代があったのか、どう感じていたのかを解き明かしてみたい。

 外から見ていた我々とは、当事者の感覚はまた違うはずですから。

 天龍さんには鶴田との正面からのぶつかり合い、藤波さんには長州との因縁…

 藤波さんは試合に負けて気持ちの整理もつかず奥さんを連れてアメリカに行ってしまったこともありましたからね。それぞれの視点から「あの時代」を語ってもらえれば、一時間では全然足りないくらいだと思っています。

――その時代を知らない若い世代にも届く内容になりそうですか。

 今のプロレスは完全にエンターテインメントとして見られているけれど、あの頃はそうじゃなかった。

「真剣勝負」という言葉では語り尽くせないけれど、遊びが一切ない見方をされていた時代があった。

 その時代を生きていた人にとっては記憶がよみがえるだろうし、その時代を知らない人にとっては、ああ、こういうふうに考えながら天龍さんや藤波さんは試合をしていたのか、という発見があるはずです。

 あの時代の空気感が少しでも伝わるイベントになれば、と思っています。

5/12開催「天龍源一郎×藤波辰爾×小佐野景浩トーク&撮影会」

それぞれが感じた鶴田の強さ&思い出、同時代を生きた俺たちの時代【鶴田、天龍、藤波、長州】を熱く語ってもらいます!

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