
5月12日、伝説のレスラー・ジャンボ鶴田の命日の前日。天龍源一郎氏と藤波辰爾氏、そしてプロレスライターの小佐野景浩氏が「ジャンボ鶴田」を語り尽くすトークイベント「天龍源一郎×藤波辰爾×小佐野景浩トーク&撮影会」が開催される。
今回は、イベント開催に先立って、小佐野氏の著書『永遠の最強王者ジャンボ鶴田 完全版』から、鶴田と天龍「鶴龍コンビ」の出会いについて紹介する。
(『永遠の最強王者ジャンボ鶴田 完全版』第10章「鶴龍対決」より)
エリートvs雑草の図式は馬場vs猪木から鶴田vs藤波へ
アントニオ猪木のファンだった藤波辰巳(現・辰爾)は格闘技の経験がないままに16歳で日本プロレスに押しかけ入門。猪木の付け人になったものの、入門規定に満たない体格だったためにデビューまで11か月もかかり、デビュー半年後には日プロを追放された師匠・猪木を追って新日本の旗揚げに参加した。
エリートとして入団した長州力に遅れること10か月、75年6月にキャリア4年にしてようやく海外武者修行のチャンスを掴んでドイツ、その後はカール・ゴッチの家に半年間住み込んで特訓を受け、ノースカロライナ州シャーロットを本拠地とする『ジム・クロケット・プロモーションズ』(通称ミッドアトランティック地区)、メキシコのUWAなどを転戦。そして78年1月23日、ニューヨークMSGでカルロス・ホセ・エストラーダを撃破してWWWFジュニア王者に。24歳の無名の日本人レスラーが世界の檜舞台でチャンピオンになるという快挙に日本のプロレスファンは熱狂したものだ。
実は師匠の猪木もブラジルで力道山にスカウトされて日本に帰国したエリートだったのだが、当時は「野球の名門ジャイアンツの投手からプロレスラーになり、エリートとして教育された馬場、力道山の付け人からスタートした雑草の猪木」というのがジャイアント馬場と猪木のライバル・ストーリーとして語られることが多かった。
ファンはこのストーリーをエリート=鶴田、雑草=藤波に当てはめて、鶴田と藤波を新たな時代のライバルと見るようになったのである。
実際、最初は鶴田と藤波の間には大きな差があった。藤波はキャリア2年5か月の前座時代の73年10月6日、日プロで同期だった佐藤昭雄に誘われて鶴田の日本デビュー戦を後楽園ホールで観戦している。
「彼は新人とかそういう感じではなかったね。相撲で言う幕下付け出しのような感じに見えた。もう何年もやっているかような選手で、馬場さんの横にいても馬場さんの頼りになるパートナーという感じでね。あれだけの身体を持っているから」と、振り返る藤波。馬場の後継者になることを大前提に一気にトップに駆け上がった鶴田をライバル視できるはずもなかったのである。
一方、当時の鶴田は藤波について「ウチの佐藤昭雄選手と同期ということもあって、藤波選手の名前は、ニューヨークでチャンピオンになる以前から知っていました。ライバルとして意識? まったくないですね」と語っていた。
一度だけの同じリングで藤波が鶴田に感じたこと
〝別世界の人間〟だと思っていた鶴田を藤波が意識したのは、やはり78年2月にWWWFジュニア王者として凱旋帰国してからだ。
「最初はそんなに意識していなかったんだけど、馬場さんの下に鶴田、猪木さんの下に藤波っていう形でともにナンバー2っていう立場、世代的にも同じってことで、周りが〝馬場と猪木〟と同じような感じで見ていたよね。だから多少は〝ジャンボとやってみたいですね!〟って言ったかもしれないけど、内心ではそんなに思っていなかった」(藤波)
鶴田vs藤波はファンにとって、馬場vs猪木に次ぐ夢のカードだったが、対決実現が期待されたのは東京スポーツ新聞社が創立20周年記念事業として79年8月26日に日本武道館で開催した『プロレス夢のオールスター戦』。全日本、新日本、国際プロレスの3団体が一堂に会するイベントで、主催者の東スポは鶴田vs藤波の実現を望み、新日本はOK、鶴田も藤波も個人的には「やってもいいですよ」と言っていたというが、馬場がNGを出したために実現せず。
そこで東スポは鶴田と藤波に夢のコンビを組ませて、マサ斎藤&タイガー戸口(キム・ドク)とのタッグマッチを提案したが、馬場も猪木もなぜかいい顔をしなかったため、ここに人気者のミル・マスカラスを加えることで鶴田&藤波&マスカラスの超人気トリオを実現させ、相手側にはアメリカから凱旋帰国したばかりの巧者・高千穂明久(ザ・グレート・カブキ)を試合の調整役として入れることで落ち着いた。
はたして鶴田&藤波&マスカラスvs斎藤&高千穂&戸口の6人タッグマッチは鶴田&藤波のダブル・ドロップキック、さらにマスカラスを加えたトリプル・ドロップキックが炸裂するなど、ファンを満足させるに十分な内容になった。最後はマスカラスがダイビング・ボディプレスで高千穂がフォール。鶴田と藤波が勝敗に関わらなかったことで丸く収まったとも言えた。
「頭の中はカール・ゴッチにマインドコントロールされていて、まったく恐怖心のないイケイケだった。〝絶対にジャンボよりも目立ってやる、リングに絶対長くいてやる〟っていう気持ちがあったね。戸口さんや高千穂さんと戦っている時のジャンボの間と反応を見て、ちょっとはやってみてもいいかなと思ったよ。ジャンボと組み合っている選手と自分を置き代えて見ると〝これはやったら面白い試合ができるかな〟って。全日本でジャンボとやったことがある長州は〝ジャンボとやるのは大変だった。今までのレスラーの中で一番辛かった〟って。〝上から乗っかられるように組んでくるから、組むことすら辛かった〟って言ってたけどね。詳しくは聞いてないけど、俺が思うには、長州は間が怖いもんね。間を置けないもんね。ジャンボは間を置いても魅せられるタイプだからね。長州がやりにくかったのは、そこのところなのかなとも思うんだけど。あの『オールスター戦』を今、改めて振り返ると、ジャンボには〝俺の牙城は誰も崩せないんだ〟という余裕を感じた。俺も〝こっちはそうはいかんぞ!〟というのはあるんだけど、あっちは我関せずでマイペースでしたね」(藤波)
結局、鶴田と藤波が同じリングに立ったのはこの時だけだった。(続きは『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田 完全版』で)
それぞれが感じた鶴田の強さ&思い出、同時代を生きた俺たちの時代【鶴田、天龍、藤波、長州】を熱く語ってもらいます!
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