ジャンボ鶴田について徹底的に語りあう「ジャンボ鶴田の素顔」。

 第1回は不沈艦スタン・ハンセン氏。

 アマリロでの出会い、共に過ごした日々、若手時代の共闘、日本でのマッチアップなど、ジャンボ鶴田とのエピソードを振り返る。

 スタン・ハンセンが語る、ジャンボ鶴田の強さ、そして魅力とは?

 そして、根強い「最強説」に対するスタン・ハンセン氏の見解は?

【動画内容】
「テキサスで過ごした若き日々」
・ハンセンが最初に会った日本人はジャンボ鶴田?
・車中の思い出
・テキサスのステーキハウスで
・ジャンボと共闘したタッグマッチ
「日本で再会したハンセンとジャンボ」
・ある日の京王プラザでの一幕
・若手の壁・ジャンボとハンセン
「病で一戦を引いたジャンボ鶴田」
「質問:ジャンボ鶴田は最強のレスラーか?」

ジャンボとの共闘、そして日本での再会

小佐野景浩(以下、小佐野)2人(ジャンボ鶴田とスタン・ハンセン)でタッグを組んでいるんですね。

 1973年8月9日にアマリロスポーツアリーナでハンセン&ジャンボ組がザ・ファンクスのインタータッグ王座に挑戦しています。

 そのあとキラー・カール・コックス&ボリス・マレンコ組と戦っています。

 9月のオデッサでは、トリオのテリー&ハンセン&ジャンボ組が、サイクロン・ネグロ&ドン・ファーゴ&パトリオットと試合をしています。

 また、おそらく鶴田さんのアマリロ最後の試合、9月23日アルバカーキで、レス・ソントン&ラリー・レーンと戦っています。

スタン・ハンセン(以下、ハンセン) ジャンボはヘッドロックやアームバーなど何でもできた。

 その頃のジャンボは、アマレスだけではなくプロレスの技術も身に付けていたからね。

 彼は頭が良かったから覚えが早かった。

 

小佐野 同年にジャンボが日本に帰ってしまうんですが、それから3年後にハンセンさんが初めてオールジャパンに来ました。

 その時のジャンボ鶴田さんは、ジャイアント馬場さんに次ぐナンバー2ぐらいのポジションにいました。一方、ハンセンさんは初めての日本ということで、下のほうの扱いでした。

 調べたらシングルマッチが1回、タッグが2回。6人タッグが2回と、計5回しかジャンボさんと対戦していないんですね。

ハンセン 俺は当時日本に来れて、とにかく嬉しかった。

 アマリロでの経験からジャンボの実力は知っていたからナンバー2のポジションに彼がいることは、少しも不思議ではなかったよ。

小佐野 それからさらに6年経ちますと、ハンセンさんはニューヨークに行って、ニュージャパンに行って、82年にオールジャパンに来て、今度はトップとしていらっしゃって、ジャンボとトップで戦うようになりました。

ハンセン 自分がトップのポジションにいたかはわからないが、お互い経験を積んで、アマリロ時代のような新人ではなかった。

 新日本にいるときから、ジャンボがどのように上り詰めたかなどは盟友のブロディ(ブルーザー・ブロディ/プロレスラー)から聞いたり、新聞を読んだりして知っていたよ。

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