Oshcherban/ iStock / Getty Images Plus/Getty Images

  子どもは可愛いし子育ては楽しいはずなのに、時間とタスクに追われるなかでついイライラ、不機嫌になってしまうお父さんお母さんは少なくないはず。前回まで、その原因を社会学(前編後編)、生物学の観点で見てきました。第4回は京都大学で比較認知発達科学を研究されている明和政子先生にお話を伺いました。

人間本来の子育てスタイルが崩れた現代

ライター松倉:まず明和先生が研究されている比較認知発達科学とは、どのようなものなのでしょうか?

明和政子教授(以下:明和):比較認知発達科学の基本は、人間をホモ・サピエンス、つまり,生物の一種ヒトとして捉えることです。DNAの塩基配列がヒトと98.9%同じとされるチンパンジーをはじめとする霊長類の脳や心の働きを種間で比較してみることで、それぞれの種がどのような特性をもつかを科学的に明らかにすることができます。このアプローチによって、「ヒトとはなにか」を理解することができ、さらにそのエビデンスに基づいて現代社会が抱える社会問題を再考し、解決することが可能となります。

ライター松倉:育児に関してはどんなことがわかっているんですか?

明和:例えばチンパンジーのメスは、6〜7年に1回子どもを産み、産んだ後もひとりで子育てをします。チンパンジーの子どもは6〜7年で自立します。すると、メスの体には再び排卵が起こり、次の子どもを産み育てる準備が整います。つまりチンパンジーは、メスがひとりの子どもをじっくり育てあげてから次子を産むという生存戦略なのです。それに対し、ヒトの場合、子どもが自立するまでにはさらに長い年月が必要です。にもかかわらず、女性は子どもがまだ幼く授乳をしていても排卵が再開され、次々と出産できるのです。

ライター松倉:ヒトは年子で子どもを持つこともできますもんね。

明和:さらにいうと、ヒトの脳の完成には25年以上かかります。とくに、前頭前野という脳部位の成熟にはとても長い時間がかかります。前頭前野は、相手の気持ちや立場をイメージしたり、推論したりする認知能力にかかわっていて、ヒトという生物の脳と心を特徴づける重要な役割を担っています。これほど高度な前頭前野を進化の過程で獲得してきたヒトは、仲間と共感し、相手の立場を理解しながら協力して育児を行うことができたとみられます。ヒトは、女性型の生殖器をもつ者(メス)が短期間で多くの子どもを産み、その後は仲間たちと協力して集団で子育てを行ってきたのでしょう。

ライター松倉:菊水先生もお話しされていた「共同養育」ですね。

明和:こうした生物学的事実をふまえて現代社会が抱える深刻な子育て問題を再考してみましょう。そもそも母親がひとりで子育てを担うことは、ヒトという生物にとって無理なことがわかります。現代社会では核家族化が進み、「孤立育児」が問題となっています。共同養育が崩壊している今、母親が子育ての日常でイライラを募らせる、不機嫌になるのは当然です。

エディター平澤:子育てを社会で支えるしくみが崩壊していることが大きな要因ですね。

明和:子育てはお母さんが担うもの、母性によって可能となるもの、といった見方を変える必要があります。繰り返しますが、生物としてのヒトの本質を理解すると、「母子の」支援ではなく、父親も、社会もみなで親子を支援していくことが必要であることがわかります。現代版・共同養育社会を早急に実現する必要があるのです。

Yagi-Studio/E+/Getty Images

 「育児は母親がするもの」は生物学的にも間違い

ライター松倉:現代社会においては男性の育児参加も必要不可欠ですもんね。

明和:生殖器の特徴は、男性的・女性的と二分的に理解しやすいですが、脳と心はまったく違います。最近の脳科学研究は、脳や心の働きには生殖器のような男女の明確な差はみられないことを示しています。それぞれの脳には、男性的な部分もあれば女性的な部分もあります。明確な性差はないのです。これは「モザイク脳」とよばれています。

ライター松倉:そうなんですね、妊娠して出産、授乳するママの方が、育児に向いているのは当然かと思っていました。

明和:母性という言葉のもつ怖さですね。子どもを産み育てている女性でも、親として必要な脳と心が十分発達していない方も当然います。男性でもパートナーの妊娠中から親としての脳と心が見事に発達している方もいます。女性が子どもを産んだら遺伝的に母性のスイッチが入る、という解釈は間違っています。

 親としての脳と心は、子どもを育てる経験を蓄積していくことで性差によらず発達していくものであることがわかっているんです。この科学的根拠に基づき、私たちは母性とか父性という言い方ではなく、「親性」と呼ぶべきと考えます。

エディター平澤:そうなんですね。育児に積極的な男性になって欲しいと思ったら、どうしたらいいですか?

明和:例えば、初めて親になる男性の脳を調べてみると、出産前の2年以内に姪っ子や甥っ子、友人のお子さんと触れ合ったことがあるなど、子が産まれる前から子どもに直に触れた経験がある人は100%親性脳の発達がよいことがわかっています。

 男性もパートナーの産休時からともに子育てについて学び、経験することで親性脳を発達させる機会を自治体が、企業が、社会が意識的に提供することが望ましいのです。今は男性の育休取得率を上げるという数値目標にのみ目が向けられがちですが、この期間を親としての脳と心を発達させるための研修期間とするための工夫が必要です。産休、育休をただの休暇にしてしまっては、まったく意味がありません。

Edwin Tan/E+/Getty Images

 男性の育児参加は仕事にもプラスになる

エディター平澤:そこですよね。どうしたら男性も育児に参加したくなる、それが可能となる社会になるでしょうか。

明和:父親が育児参加することが、じつは企業側にとってもメリットが大きいことを知っていただきたいと思います。

 育児は誰にでもできる、ルーティン的な営みと思われているようですが、実際はきわめて知的な営みであることをご存知でしょうか。ぐずり続ける赤ちゃんを前に「お腹痛いのかな」「お腹空いているのかな」など、さまざまにイメージ、推論しつつ、もっとも合理的な判断と行動の意思決定を迫られる営みが子育てです。つまり、さきほど述べた前頭前野の働きをもっとも必要とする経験なのです。子育ては前頭前野を発達させる絶好の機会。社員の前頭前野を鍛える、子どもだけでなく子育てする側の成長を促す貴重な機会なのです。

エディター平澤:育休後のパフォーマンスが上がるとわかれば、企業も育休取得を推進してくれそうですね。

明和:はい。その科学的根拠を学術界がしっかり提示し、日本の子育て社会の改革に生かしていく必要があります。

アプリやロボットなどIT技術が子育てを変える!?

ライター松倉:今後、父親も母親もともに共同養育をしていくために、親性脳を発達、活性化させることを目的の一つにして子育てに取り組むのはとても有意義な時間になりそうですね。

明和:そうなんです。ここで重要となるのは、それぞれの個人にそった親性脳の発達を目指すことです。これを実現するために、私たちの研究室で今ある取り組みを行っています。AIを活用し、いくつかの質問に答えるとその人の親性脳が評価され、その発達に合わせて「赤ちゃんに触れてみましょう」「オムツを替えてみましょう」とタスクを提示します。そしてタスクを遂行したら親をしっかり褒めるのです。その人のペースで、親性脳を日常で発達させる親性脳発達プログラムの開発です。

ライター松倉:なぜ個別に発達させるのが良いのでしょうか?

明和:それぞれの大人がもつ脳の特性や子育ての内容はみな違います。他の人と比べて劣等感を感じたり、落ち込んだりする必要はまったくありません。自分の日常のがんばりによって親性脳がどのくらい発達したのか、どんなことができるようになったのか。こうしたことを可視化し、子どもだけでなく自分自身も成長していることをはっきりと理解してもらうことこそが、子育てへのモチベーションを高めるのです。

エディター平澤:確かに、他者と比べると落ち込んでしまうこともあるので、あくまで自分の成長に着目できるのは大切ですね。

gpointstudio/ iStock / Getty Images Plus/Getty Images

 明和:コロナ禍の今、家に閉じこもり、孤独感を高めておられる親御さんが増えているそうです。とくにそういった方々を対象として、家庭内に共同養育者を増やす「親子を褒めるロボット」も制作中です。子育ては、多くの場合誰も褒めてくれません。ロボットとの日常のやりとりを介して、父親、母親が自己を肯定する機会を得ることが可能となります。それは、お子さんへの接し方にも影響し、よりよい親子のコミュニケーションを促す効果も期待されます。

ライター松倉:それいいですね!もっと褒められたい!

明和:母子健康手帳も、今の時代の科学技術をもっと活用しうる媒体です。今はまだ多くの自治体で紙ベースのものが配布されていると思いますが、さらにデジタル化する機能を搭載することで、お子さんや親御さんの個々のデータをサイバー空間に保存して、それぞれの親子の成長を可視化する。母親だけでなく、父親のデータも加えて「家族みんなの成長手帳」として機能させるのが理想です。

ライター松倉:子育ての分野にも、デジタル化が浸透して少しでも楽になれば嬉しいです!

親同士が褒め合い、労い合うことも大切

エディター平澤:子育てが辛いと思っても、自分の成長を感じられたり、褒めてもらえたりすると頑張れそうです。

明和:そうです、子どもの成長と同じく,親性脳を発達させる機会を得ることが難しい現代社会であるからこそ,親自身も子育てを通して自分の成長を感じられる,親としての歓びを感じられるしかけが必要なのです.

ライター松倉:そのアプリ、今すぐ欲しいです!(笑)

明和:子育てというとすべてを子どものために犠牲にして、ボロボロになるまで尽くすと思う人がいるかも知れませんが、そうではありません。繰り返しになりますが、子育ては子どもだけでなく、親も成長する絶好の学びの機会です。社会が、子育てを頑張っている私を見守ってくれている、褒めてくれる、認めてくれる。これこそが、親性脳を育むために必要な社会の姿なのです。子育てを経験した方が、「もう1人産みたいな、自分もいい感じに成長できているな」と自然に思える社会へと変える。ここに、日本の深刻な少子化問題解決の鍵があると思います。