生成AIに、話し相手になってもらうという人が増えている。愚痴をこぼせば、否定せずに耳を傾けてくれて、やさしい言葉も返してくれる──気づけば、そんなAIとの対話が感情のよりどころになっていた。もしもこのような、AIへの“依存”が進んだとして、それは果たして悪いことなのだろうか？
最先端技術に関する倫理的・法的・社会的課題──「ELSI（エルシー）」の考え方をひも解き、社会とビジネスにおける実践的な視点を提供する連載「ELSI最前線」。今月は、臨床哲学や哲学対話を専門とする鈴木径一郎氏が、生成AIの技術的発展と依存の問題について論じる。（第3回／全3回）
大阪大学社会技術共創研究センター（ELSIセンター）特任助教。大阪大学文学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は臨床哲学・哲学プラクティス。ELSIセンターでは、さまざまなアクターとの哲学対話の実践経験を用いながら、多数の企業との「責任ある研究・イノベーション」に関する共同研究に従事している。共著に『哲学対話と教育』（大阪大学出版会, 2021）。プロフィール詳細
テクノロジーに囲まれて生きる時代に「苦痛」をどう考えるか？
ここで最後に、生成AIの感情調整への利用も含め、広く「情報環境と関連したアディクション」の問題に参照できる議論として触れておきたいのが、「苦痛の再評価」あるいは「苦痛の活用」についての議論である。
苦痛の適切な活用は「デジタル方式でドーパミンを運んでくる現代」をいかに生きるかという文脈において、スタンフォード大学の依存症医学部門メディカルデイレクターであるアンナ・レンブケが提案した方法の一つでもある。
レンブケがその前提として指摘しているのは、依存症に大きく関わっている脳の報酬系は「快」だけでなく「苦痛」も扱っており、しかも、両者はシーソーのようにバランスしているということである。現代の依存症的状況の拡大の背景には快苦のアンバランスがあり、快へのアクセスの増加だけでなく、苦痛の回避の一般化が関わっている。
快の体験はすぐにそれをバランスさせる不快をもたらすし、快の機会の増加は快への感受性を下げながら不快への感受性を高めるのだが、快楽の追求ではない単なる不快の回避も、不快への感受性を高めてしまう。
象徴的な事例は向精神薬の恒常的な利用によるうつ病のケースであるが、これは、苦痛の回避の恒常化による恒常的な苦痛という、私たちの時代にありふれたパターンの一例である。
痛みを回避する手段の増加と説明不能な疼痛の増加の関係や、気晴らしの氾濫による退屈の増加、これらをある程度まとめて説明できるのが脳の報酬系のメカニズムであり、そこで着目されるのが、苦痛の活用というわけである。
「回復」のための苦痛の活用
ところで、アディクション的状況への対応という文脈での苦痛の活用は、前回まで参考にしてきた熊谷の論考の結びにおいても、「痛みを資源に」として触れられている論点である。
熊谷は、痛みを「予測誤差」＝予期を裏切る体験に伴う感情として捉える。
甚大な予測誤差の経験はトラウマとして、環境への信頼喪失の原因ともなるのだが、適度な予測誤差はわたしたちに現実を教える「情報」ともなりうるものであり、現実への適正な期待を育む資源となりうる。
そのように痛みをとらえた上で、熊谷は依存症からの回復について、予期を裏切らない、つまり、痛みをもたらさないものだけと付き合う態度（予測誤差の忌避）に対して、予期の更新を目指して予測誤差と付き合っていく態度が優位になることこそが回復方向への転換であるとするのである。
しかし、ここで「苦痛の活用」をいい、「苦痛の忌避」を問題とするといっても、問題とするべきなのは、当然のことながら、信頼の裏切りとしてトラウマとなり、重篤な依存のきっかけともなってしまうような、大きな予測誤差の苦痛の回避ではない。そのような苦痛は全力で避けられていい苦痛である。
むしろ、私たちが現代の情報環境の中でおこなっている苦痛の回避として十分に注意しておく必要があると思われるのは、私たちの「小さな予測誤差」の苦痛——「苦痛」という言葉が強すぎれば「不快」でもよい——の回避である。
情報環境がもたらす「なめらかな流れ」
この注意すべき小さな予測誤差、小さな裏切りの体験は、山崎正和が記述した、人間が各人の技術を身につけ、個性を確立するきっかけとなるところの経験——自動的で惰性的な運動の流れを乱す小さな「つまずき」の経験——に、その原型を見ることができる。
山崎によれば、自分自身の行動を洗練させていくきっかけとしての「意識の芽生え」は、「反復がたまたま躓いたとき、行動がそれを回復しようとする運動から生じる」。
もちろん、つまずきがつまずきとして浮かび上がるのは、それまでに自動的な、なめらかな流れがあるからである。ベースとなるなめらかさは繊細な気づきの条件である。
しかし、私たちの情報環境にあまりにありふれていて、もはやほとんど快とも思われていない、なめらかな情報の流れの快は、わたしたちから「つまずき」や「ひっかかり」の不快に耐える力を奪っているのではないか。
流れを乱す、ほんの小さな裏切りやひっかかりにも私たちは苛立ちを覚え、しかし、その苦痛に、「意識の芽生え」に立ち止まり、その原因に向き合うことはできず、またすぐになめらかな流れを与えてくれる何かを求める。
レンブケもいうように、たとえば作業などへの集中状態としての「フロー」は、一種の「ドラッグ」ともなるような強力な快であったはずである。しかし、私たちはもはや、そのようななめらかな状況をベースとすべき「正常状態」だと思ってしまってはいないだろうか。
苦痛を正常な過程として受け入れる
認知行動療法の一種であるアクセプタンス&コミットメント・セラピー（ACT）の考え方においても、現代を生きる私たちの困難の背景には、「健康とは苦痛がない状態である」という広く流通した思い込みがあるとする。
私たちは苦痛の背景にすぐに排除すべき異常や損傷を想定してしまうが、ACTの前提は「損なわれた状態こそがノーマルである」というものである。感情的苦痛についても、むしろ、その苦痛を排除したりコントロールしようとすることでより弊害を増すとする。
そこで、ACTにおいてクライエントは感情的な苦痛について、それをコントロールするべき異常として捉えるのではなく、あくまで正常な過程として、クライエント自身の価値観を基準にして受け入れていくように方向づけられる。
私たちは、生活になめらかさをもたらす技術が増加する中で、これ以上「なめらかな正常状態」を追求することは控えた方がいいのかもしれない。
なめらかさを基準にすることは、依存先の選択肢を狭めるし、依存先を拡大する可能性をも損なってしまいかねない。むしろ、立ち止まらせ、予期を修正し、適度な信頼を育むきっかけとなる苦痛としてのひっかかりや、つまずきの価値を再評価し、積極的に受け入れ、活用していくことが検討されてよい。
しかし、不快の回避に慣れた私たちに、すでにその「小さな裏切り」の苦痛ですら大き過ぎるということであれば、「苦痛の受容」についても、あくまで少しずつ進めていく必要があるだろう。感情的苦痛はコントロールできなくても、その苦痛の受け入れ度合い（アクセプタンス）は自分で決めることができるというACTの考え方は、不安——これも予測誤差の忌避として捉えられる——に悩む人の、不安の段階的な受け入れなどにも応用されている。
もっとつまずき、ひっかかりながら
私たちの感受性のあり方は、日々利用するテクノロジーの影響を受けざるをえない。また、そのテクノロジーの発展の方向が、快や利便性の追求にかたよってしまうことは避けがたい。
そうであれば、ときには、自分自身の感じる不快や苦痛の種類や、その閾値の変容に注意し、むしろ自分にとって望ましい種類の苦痛や、その受け入れの度合いを再検討して、実験してみることも、大切な作業であるかもしれない。
今回の連載では生成AIの感情的利用をとくにとりあげたが、私たちは実際に試してみれば、いま自分でおもいこんでいるよりも問題なく「感情的苦痛」のいくらかを抱えたまま生活できるかもしれないし、予測誤差への許容度を高めて、もっとつまずき、ひっかかりながら生活することを望むようにさえなるかもしれない。
その場合には、生成AIの感情的利用の方針や、私たちが生成AIに求めるレスポンスの内容、さらには生成AIの今後の発展に求める方向も、いくらか変わってくることになるだろう。
参考文献
- アンナ・レンブケ『ドーパミン中毒：現代人の「快楽」と「依存」の心理』恩蔵 絢子 訳, 新潮社, 2022年. https://www.shinchosha.co.jp/book/610969/
- 山崎 正和『社交する人間 ホモ・ソシアビリス』中央公論新社（中公文庫）, 2006年. https://www.chuko.co.jp/bunko/2006/05/204689.html
- スティーブン・C・ヘイズ, カーク・D・ストローサル, ケリー・G・ウィルソン『アクセプタンス&コミットメント・セラピー（ACT）第2版：マインドフルな変化のためのプロセスと実践』武藤 崇・三田村 仰・大月 友 監訳, 星和書店, 2012年. https://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn832.html
- ジョナサン・Ｓ・アブラモウィッツ, ブレット・Ｊ・ディーコン, スティーブン・Ｐ・Ｈ・ホワイトサイド『不安へのエクスポージャー療法：原則と実践』伊藤 正哉, 中島 俊, 久我 弘典, 蟹江 絢子, 堀越 勝 監修. https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4672yAhx8j
関連資料
一連の記事で参照した依存症関連の文献はどれも読みやすく面白いものですが（カンツィアンのものとACT関連のものだけはやや専門的）、取り上げなかったものとしては以下がおすすめです。
◎書籍
松本俊彦『世界一やさしい依存症入門』（河出書房新社）
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309617343/
誰もがなりうるものとしての依存症を身近でリアルな事例（ちょっと頑張るためのエナジードリンク、市販薬、スマホゲームなど）からスタートして書く。「14歳の世渡り術」シリーズということだが、実践的で具体的な記述が多く、大人にも是非おすすめしたい。
ナターシャ・ダウ・シュール『デザインされたギャンブル依存症』日暮雅通 訳（青土社）
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3184
バイデザインでギャンブルに依存させるテクノロジーの実態を描く。ELSIに興味がある人には特におすすめ。射倖心からではない自己治療としてのギャンブル依存のドキュメントとしても。
ウィリアム・Ｒ・ミラー、キャスリーン・Ｍ・キャロル編著『アルコール・薬物依存症を一から見直す：科学的根拠に基づく依存症の理解と支援』森田 展彰 監訳, 佐藤 明子 訳（誠信書房）
https://www.seishinshobo.co.jp/book/b507597.html
やや専門的。生物学的・心理学的・社会的要因の三つの視点からそれぞれの専門家が効果的な介入について提言する。個人的にはドーパミンとは別の神経伝達物質の働き方についての議論が「不安」と依存症との関係などにつながり興味深かった。
◎動画
「松本俊彦先生「人類と薬物の歴史」-人は薬物と共にあった」精神科医がこころの病気を解説するCh, YouTube, 2025年3月14日公開
https://www.youtube.com/watch?v=mrgHTMMwAUM
薬物依存症が主なテーマだが、依存症や物質依存がより身近になる。このトークシリーズの他の回も面白い。自己治療で選ばれるものには合う合わないがあるが、松本先生にはアッパー系（カフェイン）が合っているらしい。まずは、この動画から見始めるのが手軽かも知れない。
“Anna Lembke On The Neuroscience of Addiction: Our Dopamine Nation | Rich Roll Podcast” Rich Roll, YouTube, 2021年8月23日公開
https://www.youtube.com/watch?v=jziP0CEgvOw
『ドーパミン中毒』のアンナ・レンブケと薬物依存症だったリッチ・ロールの対話。脳神経科学の話もあるが、回復とコミュニティの話なども。二人のやりとりからレンブケ先生の人柄が伝わる。
【次回更新は7月9日(水)18時予定】
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