元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。

本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。

今回はジャンボ鶴田から奥義を伝授された付け人・秋山準が語る「たった3回」の鶴田との対戦について。そして病気によって戦線離脱を余儀なくされた鶴田を同世代を歩んだ名手たちはどう見ていたのか?川田利明、渕正信らが振り返る。

鶴田の奥義を伝授された秋山準

 1992年夏、ジャンボ鶴田の体調の異変に気付いた秋山準は専修大学レスリング部主将から大学4年生だった91年7月にジャイアント馬場にスカウトされ、この92年2月3日に全日本に入団。同月21日に合宿所に入ると、同じレスリング出身ということもあってか、デビュー前から鶴田の付け人になった。

「付け人になったのは渕さんに言われたんだと思います。馬場さんの意向ということで。鶴田さんはそんなに難しい人ではないので、洗濯して、言われた場所に鞄とコスチュームを並べるぐらいでしたよ。ただ、当時はあんまりコインランドリーがなかったんで、時間が遅くなると手洗いしてドライヤーで乾かしたり、ホテルのフロントでタオルをいっぱい借りてきて、まずタオルで衣類を挟んで足で踏んでバーッと水分を飛ばして、暖房をガンガンかけるとかって感じでしたね」と、秋山は付け人生活を振り返る。

 付け人時代は常に行動を共にし、もちろん食事もいつも一緒。自分の付け人にはご飯を食べさせるというのが全日本プロレスの伝統だった。そうした時、どんな会話をしていたのだろうか?...