伝説のレスラー・ジャンボ鶴田が他界してからすでに25年が経った。元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏がベストセラー『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』(ワニブックス)にスタン・ハンセン、藤波辰爾らの新証言を加えた28万字にも及ぶ超大作『永遠の最強王者ジャンボ鶴田 完全版』(日本ビジネスプレス)が電子書籍にて発売される。

そこで今回は『永遠の最強王者ジャンボ鶴田 完全版』の発売を記念して、天龍源一郎が革命を起こすに至った経緯と、その革命をジャイアント馬場が支持した理由を紹介する。

『永遠の最強王者ジャンボ鶴田 完全版』第10章「鶴龍対決」より一部抜粋)

「ジャンボの背中は見飽きた!」と天龍

 天龍源一郎がジャンボ鶴田と相容れなくなったのは1986年6月7日、高知市民文化センターにおける鶴龍コンビvsザ・ロード・ウォリアーズだったとされる。

 鶴田は「ほらほら、いつまでも寝てないで起きて!」と、ホーク・ウォリアーに敗れた天龍の髪を引っ張って起こそうとした。

 その時、天龍は「こういう俺みたいにひとりで相手の技を受ける奴がいるから、お前がいいカッコできるんだよ、この野郎! 金輪際、思いやりのないお前のお守りをするのはもう嫌だ!」と思ったという。

6・7高松でウォリアーズに敗れた天龍。この後、鶴田が天龍の髪を…

 しかし鶴田への不満が芽生えたのはもっと前のことだ。全日本プロレスの社長がジャイアント馬場から松根光雄に代わって新体制になり、リング上も馬場に代わって鶴田をエースにしようという路線になった頃からだった。天龍は新体制のブッカーに就任した佐藤昭雄の改革に戸惑う一方でトップとして全日本を引っ張っていこうという気概が見えない鶴田に物足りなさを感じたという。

「ジャンボに“会社のためにはこうした方がいいって馬場さんに言ってよ”とかって言うと“源ちゃん、そんなことは俺もとっくにわかってるんだよ。でも、そんな簡単にはいかないんだよ!”って怒ったからね。ジャンボは諦めちゃっていたのかな」(天龍)

 第7章でも書いたが「リングの中ではメインイベンターとして、しっかりと責任を持って試合をするけど、プロレスの会社の社長になろうなんて気はまったくないんだよ」というのが鶴田の姿勢である。

 それは一貫して変わらず、85年1月に長州力がジャパン・プロレスとして全日本に乗り込んできて「もう馬場、猪木の時代なんかじゃないぞ! 鶴田! 藤波! 天龍! 俺たちの時代だ!」と俺たちの時代を高らかに宣言した後も鶴田はこう言っていた。

「僕が考える俺たちの時代は、あくまでもリング上。“テレビの主役はBIではなく鶴田、長州、天龍、藤波だ”という意識ですよ。それがマッチメークや経営にまで及ぶものではない。それまで含めてと言うなら“俺たちの時代はない!”としか言いようがないね。俺たちはオーナーではなくレスラーなんだからマッチメークなどの無言の力を否定できないけど、とにかく試合で俺たちの時代を表現するしかない。それ以上を望まれたら“俺たちの世代に、俺たちの時代はないよ”ってことですよ」
 
 リーダーシップを発揮してくれず、リング上では87年4月に長州らのジャパン勢の多くが新日本プロレスに去っても危機感が感じられない鶴田に遂に天龍が爆発。同年5月16日、『スーパーパワー・シリーズ』第2戦の小山ゆうえんちスケートセンターにおけるタイガー・ジェット・シン&テキサス・レッド戦が鶴龍コンビのラストマッチになった。

「現状は現状として受け止めなければ仕方ないけど、お客さんには常にフレッシュ感を与えなければいけないし、強いインパクトを与えていかなければ失礼だし、ウチ(全日本)にとっても良くない。だから俺は今、ジャンボ、輪島と戦いたい。……ジャンボの背中は見飽きたし、輪島のお守りにも疲れたよ!」と、試合後に天龍がまくし立てたのだ。

 ジャイアント馬場は選手のヒエラルキーを乱す言動、行動を嫌うだけに、これは思い切ったアクションだったが、馬場は天龍の主張を認めた。

 6月1日の金沢におけるタイガーマスク(三沢光晴)の『猛虎七番勝負』第5戦の対戦相手として、低迷していたタイガーマスクの潜在能力を引っ張りだした天龍を目の当たりにて「素晴らしい試合だったと思うな。タイガーは、負けはしたけれども、これを機に伸びていくだろう。これはタイガーに限らず、他の選手にも言えることで、どんどんこういうカードを組んでいきたい」と、天龍のプランを受け入れることを決断したのである。

「こういうジャンボの顔は今までなかった」と馬場

 これを受けて天龍は6月4日、名古屋でのオフ日にシャンピアホテルで阿修羅・原と会談を持った。

 原は76年に日本人として初めて国際選抜メンバーに選ばれた名ラガーマンから77年11月に次代のエースとして国際プロレスに入団したが、国際は原がプロレスラーとして開花する前の81年8月に崩壊。同年10月から原は全日本所属になったものの、84年に失踪事件を起こし、85年4月からフリーの“戦慄のヒットマン”として全日本に上がっていた。

 天龍が原に声を掛けたのは、自分が相撲から来てプロレスとのギャップに悩んだように、ラグビーからプロレスに来て芽が出るまでに時間を要した原に親近感を感じていたこと、今までと違うインパクトを出すには全日本のカラーに染まっていないパートナーが必要だったこと、そして「俺も阿修羅も、違う世界からここまでやってきて名前が残らないんじゃかわいそう。人間・嶋田源一郎、原進を大事にしたい」という思い。天龍の誘いに対して原は「誇りが持てるプロレスをやりたい」と言ったという。

 かくして天龍と原は龍原砲を結成。天龍は「阿修羅と2人で突っ走って、ジャンボ、輪島を本気にさせて、みんなに“全日本は面白い!”って言わせてやる」と高らかに宣言した。

「あの当時、いろいろなことを言ったと思うけど、心の中にあったのは“ジャンボ鶴田は凄いんだよ、元横綱の輪島大士は捨てたもんじゃないんだよ”ってこと。ジャンボがみんなの評価以上のものを持っているってことは身近にいた俺が一番知ってたから、他団体やファンにジャンボ鶴田の凄さと全日本プロレスの素晴らしさをわからせたかった。タイミングとしては、ジャンボが“天龍とやってもいいか!”って思うポジションに俺がきていたと思うよ」と、天龍は天龍革命の真意を語る。

 プロレスの革命というと、長州の維新革命にしても反逆のイメージが強いが、天龍革命が画期的だったのは団体の責任者の馬場の了承を得ての無血革命だったということ。

 当時、新日本はUターンした長州を中心に藤波辰巳(現・辰爾)、前田日明らが団体枠を超えてアントニオ猪木、マサ斎藤らに世代交代を迫っていた。

 こうした2団体の流れから時代を変えようとするニューリーダーズ・ブームが起こっていたが、馬場は天龍に全幅の信頼を寄せてこう言っていた。

「天龍が他のニューリーダーと、どこが違うか。それはな、私利私欲がないことなんだよ。どうすればプロレス界が、ウチの会社が良くなるかを常に考えて行動している。そしてアレ(天龍)は、プロレス界でトップを獲ること、スターになるにはどうしたらいいかを知っている。練習をして、常に一生懸命やるということをね。だから俺は天龍が何を言おうが、何をやろうが、全然心配しておらんよ」

 天龍革命勃発後、鶴田と天龍が初めて激突したのは6月11日の大阪府立体育会館。鶴田&タイガーマスクvs龍原砲がメインで組まれた。

87年6・11大阪で4年2ヵ月ぶりに激突した鶴田と天龍

 闘志を剥き出しにしたのは天龍よりも鶴田の方。タイガーマスクvs原で試合がスタートして2分後、タイガーマスクのタッチを受けて原と対峙した鶴田は、いきなりコーナーに控えている天龍に先制のエルボーバットを見舞って挑発したのだ。

 ここで原が天龍にタッチして遂に4年2ヵ月ぶりに鶴龍対決が実現。天龍は原との連係でダブルチョップを叩き込み、ブレーンバスターを見舞った。天龍が原にタッチしたため、初遭遇は数十秒だったが、天龍がタイガーマスクをフォールに入ると、鶴田がすかさず飛び込んでストンピングの嵐。8分過ぎの2度目のコンタクトでは鶴田がジャンピング・ニー、ストンピング、ジャンピング・ニー、ストンピングの喧嘩ファイトに出た。

「こういうジャンボの顔は今までなかったですよね。これがやっぱりジャンボに必要なんですよ。今まで一番ジャンボに欠けていたものが、この試合に出てきましたね。ですから、こういう試合はやっぱりやるべきですね、いいですね!」と、思わず解説席の馬場が声を弾ませた。

 鶴田が原にコブラツイストを決めると、天龍が「休ませてなるか」とリングに飛び込んで鶴田に痛烈なビンタ。そして龍原砲のサンドイッチ・ラリアットが爆発!

 最後は乱戦の中で天龍と原が鶴田にサンドイッチ・ラリアットを浴びせ続けたために反則負けを宣せられたが、馬場は満足気。

「もう解説するまでもないんですけどね、最後の判定が反則になったところに原、天龍の意地が見られましたね」と試合内容を賞賛したのだ。

 当時の全日本ではマイクアピールはほとんどなかったが、怒りが収まらない鶴田はマイクを掴むと「天龍、来い、この野郎! いつでも!」とアピール。

「ジャンボにはこういう気迫を見せてもらわなきゃいけないですね。今までちょっと大人し過ぎたですね」と、またまた馬場は嬉しそうにコメントした。

 馬場は長州たちが離脱して沈滞ムードだった全日本を変えてくれる何かを欲していた。そしてエースの鶴田が覚醒する材料も欲しかった。それに応えたのが天龍だった。

「俺がジャンボや輪島のケツを叩くよりも、仲間だった天龍にこき下ろされて、リング上で喧嘩腰になって向かって来られれば、その方が発奮材料になるだろ」

 馬場は、表面的には反体制でも全日本を活性化させ、鶴田を熱くさせる天龍革命を全面的に支持したのである。

スタン・ハンセン、藤波辰爾らの新証言をもとにベストセラーを大幅加筆した28万字の超大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田 完全版』が5月13日より発売開始!!
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【電子書籍】永遠の最強王者ジャンボ鶴田 完全版
1,650円(税込)
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【新証言】藤波辰爾、スタン・ハンセン、田上明、秋山準...ベストセラーを大幅加筆した28万字の超大作!

元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩によるベストセラー『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』(ワニブックス)を大幅に加筆、藤波辰爾、スタン・ハンセン、田上明、秋山準の新証言をもとに、改めてジャンボ鶴田の実像を描く28万字の超大作!

「最強説」を検証すると同時に「最強ではあるが最高ではない」理由、「普通の人でいたかった怪物」という人間性に迫る。

Live配信「ジャンボ鶴田は最強だったのか?」【小佐野景浩×川田利明】
550円(税込)
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電子書籍発売記念!川田利明とジャンボ鶴田を語る

名レスラー・ジャンボ鶴田が亡くなってから今年で25年。

元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩氏が、自身のベストセラー『永遠の最強王者ジャンボ鶴田』(ワニブックス)に、新たな取材を基にした大幅加筆した電子書籍『永遠の最強王者ジャンボ鶴田 完全版』の発売が決定!

ベストセラーの完全版にふさわしく今回は28万字を超える超大作。

今回は、この『永遠の最強王者ジャンボ鶴田 完全版』の発売を記念して、シンクロナスにて鶴田の命日である5月13日に刊行発売記念Liveを開催。

編集者とプロレスラーという立場で取材を続ける中で感じた人物像や、長年鶴田の関係者にインタビューしてわかった意外な素顔を語っていただきます。

加えてスペシャルゲストとして川田利明さんにご出演いただき、間近で体感したジャンボ鶴田の強さと人柄をお話しいただきます。

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