元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。
本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。
ジャンボ鶴田41歳。超世代軍との対決でプロレス界を盛り上げていた当時、筆者に語った胸の内とは?そして病気について。誰にも知らされていなかった鶴田の異変に真っ先に気づいた2人とは?
結成1年7ヵ月にして結果を出した鶴明砲
1991年、まさに絶頂期だった鶴田は、年明け92年1月28日の千葉公園体育館でスタン・ハンセンに三冠王座を奪い返されてしまったが、三沢光晴との最後のシングルマッチの1ヵ月前の3月4日の日本武道館において田上明との鶴明砲でテリー・ゴディ&スティーブ・ウイリアムスから世界タッグ王座を奪取して、すぐさま巻き返しに転じた。
90年8月から田上をパートナーにしたものの、同年と91年の『世界最強タッグ決定リーグ戦』で優勝できず、ゴディ&ウイリアムス、ハンセン&ダニー・スパイビー、三沢&川田利明が保持していた世界タッグに挑戦するもいずれも敗れていただけに、1年7ヵ月にしてようやく結果を出せたことは、鶴田にとって本当に嬉しいことだった。
90年以降の全日本のタッグチームというと、三沢&川田、川田&田上、三沢&小橋健太(現・建太)、小橋&秋山準を思い浮かべるファンが多いと思う。しかし、もし鶴田&田上の鶴明砲が世界タッグ奪取以降にずっと継続されていたとしたら全日本プロレス史に残る名タッグチームになっていたかもしれない。
今回の執筆にあたって鶴明砲の試合を見直してみたら、とにかく理屈抜きに強いし、そのスケール感が半端ではないのだ。今のプロレス界を見ても、これだけスケールが大きいヘビー級のタッグチームはいないと断言できる。
王座奪取に成功したゴディ&ウイリアムスとの試合もド迫力だった。この殺人魚雷コンビのパワーとエネルギッシュさも凄いが、それにまったく引けを取らないのである。...