さらなる成長を求め、欧州へと飛び立つ。そこで戦い、選ばれ続け、「いつかはサッカー日本代表に」という夢を追う。
想像するよりタフなメンタリティが求められる。しかし、そのメンタリティこそが日本サッカーの発展の象徴になる。
現在、ドイツ3部のアルミニア・ビーレフェルトで活躍する水多海斗はJリーグを経由せずブンデスリーガにたどり着いた。
岡崎慎司とともに「欧州と日本サッカーの距離」を縮めるための課題、ヒントを探る動画コンテンツ『dialoguew/」で、水多のサッカー人生、ドイツで感じたこと、目指す先、日本人の可能性を直撃した。
(本稿は動画『【ビーレフェルト・水多海斗×岡崎慎司】「毎年数百人の日本人選手がドイツに来るけど、ステップアップしている選手は数名」』を編集した後編。)
中学時代の挫折から立ち直らせた両親の一言
――水多選手は小学校時代からナショナルトレセンにも選ばれるほどの実力を持っていましたが、その当時のご自身の印象はどうですか?
水多海斗 小学生の時は多摩区にある中野島FCでプレーしていたんですけど、サッカーに関してはすごく自信を持っていました。
小学4年生の時に始めて、当時、川崎フロンターレの下部組織に所属していた久保建英選手(現・レアル・ソシエダ)と出会って、彼が同世代では一番の選手だと思いました。
でも自分もそれに負けないぐらいの実力があると感じたので、建英以外に敵はいないなと。それぐらいサッカーは上手いと自負していましたね。
――中学からはFC東京U-15むさしでプレーされました。ほかにもJリーグの下部組織がある中で、入団を決めた理由というのは?
水多海斗 地元のクラブで、小学生の時にスクールにも通っていて、どういうチームかわかっていたことが入団を決める大きな理由となりました。
ただ中学校1、2年生の間はあまり試合に絡むことが出来ませんでした。
小学生の頃は周りと比べて体が大きかったのに、中学に入学してから成長が止まってしまって。フィジカル面での優位性を保てなりました。
加えて、僕はずっとドリブルしかしない選手でしたから、味方と連動するプレーの必要性をまったく理解できていなかったんです。
コーチからパスや連携プレーを要求されても「俺には必要ない」「この人は何を言っているんだろう」みたいな感じで。
そんな独りよがりな選手が使ってもらえないのは当たり前でした。
それから2年間、試合に出れない状況が続いて、3年生になった頃、さすがに「これはやらなきゃ」と思い始め、パスやチームプレーを練習するようになったんです。
そうしてようやく試合に出れるようになり、全国優勝して大会の優秀選手にも選ばれました。
自分の性格上、少し頑固なところがあり、ここだけは譲れないと思うことが多いので、コーチの言葉を聞き入れるのに時間がかかってしまいましたね。
岡崎慎司 でも、最終的にその大事な部分に気づけたのは大きかった。そこに気付けるかどうかで、その後のサッカー人生がだいぶ違ってくると思うから。だからある意味、その2年間があったからこその今、ということも言えるよね。
――その試合に出れない2年の間に、ご両親からアドバイスだったり、出場機会を求めて他クラブへの移籍を勧められたりはしなかったのでしょうか?
水多海斗 いろいろな話はされました。
もともとサッカーをしていた父親は、うまくいかないことに対しては「べつにそれは悪いことじゃない」と。でも「もう少しこういうことが必要だ」と、詳しく話をしてくれる人でした。
一方の母親はほとんど僕の試合は観に来ないんですけど、たまに応援に来た時に「お前は本当に悪いプレーをしてるね」みたいな(笑)。めっちゃ厳しかったのを覚えています。
でもふたりとも、僕は自分から言いませんでしたけど、中学時代にサッカーでうまくいっていないことは気付いていました。
グレるまではいかないですけど、家に帰ったらただいまも言わずにすぐに部屋に戻ったり、プレイステーションでゲームする時間が増えたり。サッカーから少し距離を置いていましたから。
その時に、両親から「そんなことをやっていたらサッカー選手になれないよ」とガツンと言われたんです。
そこから意識を改めて、チームのことを考えた練習にも取り組むようになりました。いま思えば、僕がサッカー選手として変われた大きなきっかけでもありましたね。
挫折を乗り越え続けた経験は、今後のサッカー人生で大きな武器になる
――中学卒業後、FC東京U-15むさしからユースに昇格することはかなわず、前橋育英への進学を決断されました。その時の心境をお聞かせいただけますか?
水多海斗 やはり、悔しい気持ちがすべてでしたね。たしかに中学2年までは試合に出れませんでしたが、3年時にはチームの全国優勝に貢献し、優秀選手にも選ばれました。正直、ユースに上がれるのは当然のことだと思っていました。
しかし、監督と親との三者面談で『残念だけど』と昇格できないことを告げられて……その瞬間、頭の中が真っ白になりました。もう高校サッカーしか選択肢がないことは理解できていたんですけど、その事実を認めることはできませんでしたね。「また挫折か……」と。
岡崎慎司 じゃあ、すぐに気持ちを切り替えて高校進学を選んだわけではなかったんだね。なかなかポジティブにはなれなかったというか。
水多海斗 はい。心の中が100%ネガティブ思考になっていました。
――そこからどうやって気持ちを持ち直したのでしょう?
水多海斗 時間が解決したわけではありませんが、1週間ぐらい経った時に、コーチから「複数校から声がかかってるよ」と連絡がきたんです。
それでもう一度面談をして、いくつかの学校の練習に参加した中で良いと思えた前橋育英に進学することを決めました。
スポーツ科に特待として入ることができたので、親の負担を考えたらベストなルートだとも思いました。
岡崎慎司 俺らの時代からすれば前橋育英に行くってめちゃくちゃすごいことだけどね。サッカーでプロの道に進む未来も見えてくるし。
水多海斗 その考えは僕も若干ありました。前橋育英はプロをたくさん輩出していますから。
――それほどの高いレベルの中で、自分はやれるという手応えはありましたか?
水多海斗 初めて練習に参加した時から自分が一番上手いのは感じていましたし、「ここで試合に出れないことはまずないな」という感覚は入学初日からありましたね。
岡崎慎司 それはすごいな。俺の滝川第二時代はそんなメンタルなかったから。
兵庫県トレセンで試合に出てる人らが同学年にいて、その下っ端だったし、上の2〜3年生はもう別格。俺はダイビングヘッドしかできなかったよ(笑)。
水多海斗 (笑)。ただ、やはり僕は自分のサッカーの上手さにだけ頼ってしまうところがあったので、高校でも納得いかないことがあるとコーチに反抗してしまうことは結構あったんです。
そのペナルティーでボールを触らせてもらえず、草むしりや、グラウンドネットの保守管理をやったりと、また試合に出れない時期が続いてしまいました。
せっかく中学時代にチームプレーの大事さを理解できたのに、Jリーグ下部組織で結果を残したことで、変に鼻が高くなっていたのかもしれません。
自分の意見を一方的にぶつけたり、反抗することは誰でもできる。でもこのままだと本当に試合に出られない。それを何度も自分に言い聞かせながら、心の中の弱い水多海斗と向き合い、方向性を変えていきました。
自分の良さを消さずに、チームのためにハードワークができる。そんな上手くて、 良い選手になれるように。
ですが、高校3年生になってこれからっていう時に、怪我をしてしまって。
朝起きてすぐに涙があふれてしまうぐらい本当につらくて、悔しくて……。だけど、最後の全国高校サッカー選手権には絶対に出てやるという思いで、なんとかスタメンとして出場できるまでには回復することができました。
その後、すぐにはプロになる夢は叶いませんでしたけど、最低限のことはしっかりやり切れたのかなと思います。
――その大会で敗れた相手は尚志高校でしたが、当時は2年生に染野唯月(現・東京ヴェルディ)がいました。彼はプロ注目の逸材でしたが、水多選手は挫折を繰り返したことで順風満帆にはいかず、高卒でプロ入りする基準には達しなかった。でもだからこそ、いまの水多選手はサッカー選手として「本当の上手さ」を、ドイツの地で手にしつつあるように思えます。
水多海斗 ありがとうございます。僕は本当に何度も壁にぶち当たり、納得いかない時間をたくさん過ごして、苦しみ続けてようやくドイツ3部まで上がることができました。これからもきっと、上のステージを目指していく中で新たな壁は必ずあります。
けれど、いままで挫折を繰り返し、何枚もの大きな壁が目の前を立ち塞がってきましたが、それを乗り越えてきた経験がある。
どんな難題に直面しても、解決策を導き出せる自信があるんです。
それはサッカー選手としても、ひとりの人間としても大きな長所になっているので、中学高校の6年間は、いまの自分を形成する上では欠かせない時間だったなと思います。(文/佐藤主祥)
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🔰シンクロナスの楽しみ方
日本サッカー、スポーツには世界に誇るべきポテンシャルがある。けれどそれはまだまだ世界に認められていない――岡崎慎司は欧州で13年目のプレーを迎え、その思いを強く持つ。胸を張って「日本サッカー」「日本のスポーツ」を誇るために必要なことは何か。岡崎は言う。
「新しいサッカーやスポーツの価値を探し、作っていくアクションが必要」。
「欧州にあって日本にないもの」「新しい価値を作るためのキーワード」をベースに、海外で活躍する日本人指導者や各界の第一人者たちと語り、学び、交流し、実行に移していく実験的場所!
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