元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。

本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。

強くても世界王座が奪えない「善戦マン」と呼ばれるようになった鶴田。師匠・ジャイアント馬場やアントニオ猪木にあってジャンボ鶴田に無かったあるものとは。当時の鶴田を知る関係者が語る。

Index
・内容で押しても決して奪えない世界王座
・鶴田の試合に足りなかったのは猪木的要素

内容で押しても決して奪えない世界王座

 ジャンボ鶴田がキャリア豊富な対戦相手のスタイルに対応することに関して天才的だったことは1976年=ラッシャー木村戦(3月28日=蔵前国技館)、77年=ミル・マスカラス戦(8月25日=田園コロシアム)、78年=ハーリー・レイス戦(1月20日=帯広市総合体育館)の3年連続でプロレス大賞年間最高試合賞に輝いたことでもわかる。キャリア数年にして日本屈指の名勝負製造機だったのだ。

 そんな鶴田が「善戦マン」と呼ばれ始めたのは81年頃からだ。善戦マンとは「内容的には良い試合をして王者を圧倒するが、結局は大善戦止まりでベルトを奪取できない男」という意味である。

 年間最高試合賞に輝いた78年1・20帯広のレイス戦は、それまで敗戦続きだったNWA世界ヘビー級王座挑戦で初めて押し気味の60分時間切れになったことが評価された。

 ところが、その後はレイスに挑戦して60分時間切れ=1回、両者リングアウト=3回とファンの期待を裏切ってしまった。そして「善戦マン」を決定づけたのは81年10月9日の蔵前国技館における新NWA世界王者リック・フレアーに挑戦した試合だ。...