テリー・ファンクから1本を先取して男泣き

いまだに根強いジャンボ鶴田最強説を検証する連載「新版・永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」。日本デビュー3か月、世界王者ジャック・ブリスコと対戦するなど、ビッグマッチを数多く経験した鶴田は、着々とスターへの道を歩んでいく。

Index
・鶴田の出世試合はファンクスと馬場の合作
・歴代NWA世界王者と互角の戦い

鶴田の出世試合はファンクスと馬場の合作

 1973年10月9日、全日本プロレス旗揚げ1周年記念興行となった蔵前国技館大会は超満員1万1000人の大観衆を動員した。

 この日、リング上で沖識名の引退セレモニーが行われた。

 1954年2月19日、日本初の本格的なプロレス国際試合として旧・蔵前国技館で行われた力道山&木村政彦vsベン&マイクのシャープ兄弟から73年4月の日本プロレス崩壊まで19年間レフェリーを務め、またコーチとして力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木を育てた偉大な人物がプロレス界を去り、鶴田友美(当時はまだ本名)という新しいスターが誕生するというのが、ジャイアント馬場が描いたシナリオである。

 セミファイナルではザ・デストロイヤーvsミル・マスカラスが“覆面世界一決定戦”として行われ、いよいよドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンクにジャイアント馬場&鶴田が挑戦するインターナショナル・タッグ戦。

 4選手が揃ったところで9月26日に全日本入りが発表された柔道王アントン・ヘーシンク(64年東京五輪で日本代表の神永昭夫を撃破して無差別級金メダルに輝く)が登場してリング上から大観衆に挨拶。

 沖識名、デストロイヤーvsマスカラス、ヘーシンク……すべては鶴田を盛り上げための露払いだったのだ。

 普通、キャリア半年の新人だったら会場のムード、豪華なお膳立てに飲み込まれてしまうところだが、鶴田は自然体で臨み、潜在能力を遺憾なく発揮した。

 今現在のプロレスとは違い、大技の種類が多いわけでもないし、流れるようなハイスパートの攻防があるわけではない。

 ノンストップの攻防を見慣れている今のファンが映像を観たら、物足りなく映るかもしれないが「静」があるから「動」が際立つという昔のオーソドックスな名勝負が生まれた。

本連載「はじめに」藤波辰爾が語るジャンボ鶴田...