脱いでも稼げない「裸のデフレ」の時代、コロナ禍がその状況に拍車をかけた。夜職で働く女性たちが収入を失い、困窮化。性風俗産業は女性の貧困とからめて取り上げられるようになった。

その一方で、稼げる女性と、そうでない女性が二極化しているともいわれている。ではその背景には何があるのか。社会全体で格差が拡大するなか、性の世界にもその影響はあるのか。

本企画では、風俗の世界で働く女性たちへのインタビューを行っていく。記事だけでなく、動画、音声、LIVEなどのイベントを通して、格差が生じる要因を探る。今回は、大原智恵さん(仮名)#1

また記事執筆者の坂爪真吾氏が、12月19日まで、夜の世界で孤立している人たちに、AIの力で「明日の選択肢」を届けるためのクラウドファンディングに挑戦中。ご覧になってみてください!

毒親家庭で育つ

「今の風俗は、見た目が可愛くて、痩せていて、胸の大きな子が増えています。女の子の新規参入が増えて容姿のレベルが高くなった結果、元々風俗の世界にいた女の子たちが格安店にいかざるをえない状況になっている、と感じています」

 そう語る智絵さん(36歳)は、現在吉原のソープランドと鶯谷のデリヘルを掛け持ちしながら働いている。風俗の仕事を本格的に始めるまでは、主に生活保護と短期のアルバイトで生計を立てていた。

 智絵さんは中学生の頃から不登校になり、高校時代は対人恐怖気味で、うまく周囲と人間関係を築くことができなかった。

「うちの親は毒親だったので、そのことも周囲と人間関係をうまく築けないことに影響していたと思います。高校までの学費はなんとか親が出してくれたのですが、そこから先の学費については自分でなんとかしなければならなくて。進学後に奨学金を借りて、一人暮らしを始めました」

 卒業後に返済しなければならない奨学金の額は、トータルで数百万円。かなり重い負担である。

「学費や生活費については、一応、少しは親からも援助してもらえていたのですが、毒親なので、途中で気が変わって援助してもらえなくなったりすることもありました」

就職活動を中断し、治療に専念する

 大学生の頃は、うつと過眠症にも悩まされていた。

「当時は過眠症だという自覚はなかったのですが、1ヶ月くらい寝っぱなしみたいな状態で、夜一瞬だけ起きて、薬を飲んでまた寝る、みたいな感じでした。お手洗いも行かなくて済む身体になって。最近は、さすがに1ヶ月寝続けるようなことはなくなり、1~2週間で済むようになっています。今は双極性障害と診断されています。

 大学3年生になって就職活動を始めたのですが、対人恐怖の影響もあって、なんとか面接までたどり着いても、面接官の前で不安や恐怖感がだだ漏れになってしまい、うまくいきませんでした」

 大学のキャリアカウンセラーに相談したところ、「就職活動よりも、まずは治療に専念したほうがいい」と言われて、医療機関の受診を勧められた。

「それまでは母親の目があって、クリニックなどにはちゃんと行けていなかったのですが、そこから本格的に治療がスタートしました。不登校だった中学生の時、母親同伴で医者に相談したことがあったのですが、母親が自分の悩みを一方的に話すばかりで、自分の話はあまり聞いてもらえませんでした。学校でいじめられていたときのことを、母親が横にいる状態で話すのは精神的にきつかったので、医者の前では当たり障りのない話しかできませんでした。ただ、その時病院を受診していたおかげで、成人する前から病気だったことが認められて、障害年金をもらうことはできました」

大学卒業後、生活保護を申請

 大学卒業後、就職はせずに、学生時代から働いていた接客業のアルバイトを続けた。

「働いているうちに、次第に接客すること自体が怖くなってしまったんです。同僚の人たちに朝の挨拶をするのも難しくなってしまい、思うように出勤することができず、収入は月に2~3万円程度でした」

 まとまった収入がない中で一人暮らしを続けることは難しかったので、生活保護を申請することを決意した。自分で申請の方法を調べて、役所に出向いて申請した。

「最初に役所に申請に行った時、「今日過ごすお金はありますか?」と聞かれました。手持ちのお金が全くない人に対して、緊急にお金を貸し付ける制度があり、それを利用するかどうか聞かれたのですが、手持ちのお金がギリギリあったので、その制度は利用しませんでした。

 また手続きの際に、銀行の通帳を見せるように言われました。職員さんから少額の出入金まであれこれ細かく聞かれたのが面倒臭かったですが、申請自体は、病気のこともあったので、比較的スムーズに進めることができました」

 生活保護の受給を開始した後、アルバイトはやめることにした。

「生活保護をもらっている最中に働くと、収入があってもその分生活保護費から引かれてしまうので、働き損になってしまう。長時間働く気力と体力がないから、短時間のバイトをしているのに、そこで働いて得たお金が全く残らないのであれば、意味がないですよね」

生活保護受給後、夜の仕事でも働くようになる

 アルバイトをやめた後は、しばらく無職の状態が続いた。

「たまに試験監督の補助みたいな単発の仕事をしていました。日給1万5000円を超えないくらいの楽な仕事です」

 この頃から、短時間で高収入を得られるアルバイトの一つとして、夜の世界でも働くようになった。

「短期間ですが、おっパブや池袋のデリヘルで働いたこともありました。ただ、デリヘルの仕事をやっても、続くのは夏場の数ヶ月くらいでした。冬場は低気圧で過眠症がひどくなるので、その間にフェードアウトしてしまうことが多かったです。

 今働いている吉原のお店には、「冬の間は消えます」と事前に伝えてあるので、多分やめることにはならないかなと思っています。

 当時は、ウェブのマッチングサービスで出会った男性とお付き合いすることもしていました。純粋な交際ではなく、お手当をもらうタイプのお付き合いです。その時に出会った人の中で、未だに年一回会っている人がいます。出会い方がそういう場所だと、友達や恋人にはならないのですが、意外と関係が続くこともあるんですよ」

趣味の場で出会った男性と交際し、結婚

 そんな智絵さんの人生に転機が訪れたのは、20代の終わり頃だった。趣味の場で 出会った男性と交際を始めた。...