脱いでも稼げない「裸のデフレ」の時代、コロナ禍がその状況に拍車をかけた。夜職で働く女性たちが収入を失い、困窮化。性風俗産業は女性の貧困とからめて取り上げられるようになった。
その一方で、稼げる女性と、そうでない女性が二極化しているともいわれている。ではその背景には何があるのか。社会全体で格差が拡大するなか、性の世界にもその影響はあるのか。
本企画では、風俗の世界で働く女性たちへのインタビューを行っていく。記事だけでなく、動画、音声、LIVEなどのイベントを通して、格差が生じる要因を探る。今回は、速水理沙さん(仮名)にお話をお聞きしました。
速水理沙さん(仮名)
月収 100万円以上
お金の使い道 7000万円の戸建てを購入
運命を変えた男性との出会い
理沙さんは、現在医療系の専門職として、関東地方の医療機関で働いている。
風俗の仕事を始めたのは、2000年代初頭、21歳の時だった。大学在学中に、交際していた10歳年上の彼氏の勧めで、川崎のソープランドで働き始めた。
「当時付き合っていた彼から、『働いてみる?』と提案されたことがきっかけでした」
交際している女性に対して、ソープで働くことを持ちかける男性とは、一体どのような人物なのだろうか。理沙さんとその男性との間には、どのような関係性があったのだろうか。事の始まりは、理沙さんが中高一貫の女子校に通っていた頃に遡る。
「小学生の頃の同級生で、仲の良い女友達がいました。彼女も私も親が教育熱心で、中学受験をして、中高一貫の私立女子校に進学しました。中学は別々だったのですが、彼女には女子校なのにやたら男性の友達がいたんですよ。男性の電話番号をたくさん知っていて。
すごく真面目な子だったし、女子校だからそんなに出会いもないはずなのに……と不思議に思っていたのですが、後になって、彼女がテレクラで男性と知り合っていたということが分かりました。男性からお金をもらっていたのかどうかはわかりませんが、おそらくそういう関係も持っていたのでしょうね。
私も思春期真っ只中で、性的なことには興味があったので、彼女のことは「彼氏がいて羨ましいな」くらいに思っていました。彼女がテレクラで知り合った男性と、3人で会うこともありました」
そうした中で、理沙さんは彼女の運命を変えることになる男性と知り合うことになる。
「大学に入るか入らないかの頃から、女友達を通してテレクラで知り合った男性の一人と付き合い始めました。彼は性的なことに強い興味を持っている人で、アブノーマルな性的嗜好も持っており、テレクラや風俗通い以外にも、様々な遊びをやっていました。
私の親は教育熱心で、度を越したレベルの過保護だったので、親との関係は非常に悪かったんです。当時は「一刻も早く家から出たい」と思っていました。
でも、お金がなければ家を出れない。親に対する反発心もあり、高校を卒業すると同時に家を出て、その彼と同棲を始めました。
ちなみに、彼と知り合うきっかけになった女友達は、精神を病んでしまい、大学に入った頃には連絡が取れなくなってしまいました」
彼氏によるプロデュースで、満を持してソープデビュー
大学入学後、同棲している彼氏の影響や要望で、理沙さんは様々な性的冒険をした。都内のSMクラブで短期間働くことも経験した。そうした中、彼氏から「ソープで働いてみない?」と持ちかけられた。当時の理沙さんは風俗に関する知識が無かったため、ソープランドが何をする場所で、どのようなサービスが行われているかについては、全くイメージが湧かなかった。
しかし、風俗を頻繁に利用していた彼氏は、理沙さんに対して「この子はこうやって売れている」「お前も、こういう形で、こういうふうに働けば、絶対に稼げる」といった情報を繰り返し伝えてきた。ソープランドのマットプレイで使われるマットを自前で購入し、二人でラブホテルに行ってマットプレイの練習も行った。
「結局、大学3年の3月から川崎のソープランドで働き始めました。彼としては、満を持して私をデビューさせた、という感じなんだと思います。
最初は、それまで働いていたSMクラブの延長のような形で働き始めたのですが、私の働き方や稼いだお金の管理は、全て彼がやっていたんです。これぐらいの金額帯のお店で、これぐらいのサービスをして、1回の出勤でこれぐらいの客を取って、一日にこれぐらい稼いで、年間でこれぐらい稼ぐ、という計画を、全て彼が作っていました。『お店では生意気な態度は取らないこと』『お店の先輩の女性たちから可愛がられるような存在になれ』などの細かいアドバイスも受けていました」
彼氏の手口や振る舞い方は、どう考えても手練れの悪徳スカウトマンにしか思えないが、理沙さんによれば、彼氏はスカウトマンでも反社の人間でもなく、純粋に趣味で性の世界に関わっている人間だったという。
あえて格安店を選び、過剰サービスをさせずに働く
「21歳でソープの世界に入ったのですが、お店の中では、私が一番年下でした。当時(2000年代初頭)はソープで働く女性の年齢層はまだ割と高めだったと思います。だから21歳という年齢、しかも「現役の女子大生」というだけで売りになりました。
本来であれば高級店に行けたのですが、彼は私を格安店に行かせました。なぜかというと、私に過剰なサービスをさせたくなかったから。衛生面を考えて、キスもさせない。挿入するときも、必ずゴムを着用しました。
ソープの場合、高級店ではゴム無しの生ですることが基本になるし、それ以外のサービスも色々としないといけない。
最初から単価の安い店に行けば、お客さんからそれ以上のサービスを求められたとしても、突っぱねることができる。あえて格安店に行って、過剰サービスをさせないで働く、という方向でプロデュースされました」
彼氏による計算し尽くされたプロデュースに反発して、一日だけピンサロで働こうとしたことがあった。
「私も自分でお店を探して働けるぞ、という意志を示したくて、自分で探したピンサロに応募したんですよ。でも、彼からの教えで『絶対ゴムをつけてしろ』って言われていたので、ピンサロでもゴムを使ってやっていたら、お店に発覚して、一日で辞めることになりました」
いくつかの店での勤務を経て、彼氏の立てた戦略に従って、コース料金が50分1万円程度の格安ソープに移った。その店では、13時から23時まで、1日10時間働いた。
「40分や50分のコースだと、一日で最大11人ぐらいお客さんがつくんですよ。そのため、一日で10万円程度稼げる時もありました。月収は100万円を超えていたと思います」
瞬く間にナンバーワンの座に上り詰めた理沙さんだったが、その地位をキープするための投資、例えばファッションや美容には、一切お金を使っていなかった。その代わり、お店に飾る写真、ホームページの宣材写真は、全て彼氏が時間と手間をかけて撮影していた。
「こういう角度で、こういう服を着て、こういうポーズで撮って、ということも、全部彼がプロデュースしていました」
店舗型✕本番✕高回転率という「黄金の方程式」
風俗の世界で稼ぐための「黄金の方程式」は、今も昔も変わらない。
その方程式とは、「店舗型✕本番✕高回転率」である。店舗型で、本番行為を行い、客の回転率を上げれば、高単価と効率的な接客を両立させることで、大きな利益を生み出すことができる。大阪の飛田新地が良い例だ。2010年代半ばに社会問題化したJKビジネスの店舗型リフレは、この方程式に「未成年」という要素をかけ合わせたため、爆発的に稼げる業種になり、それゆえに当局に目をつけられて規制対象になった。
理沙さんの彼氏は、この「黄金の方程式」を熟知していたのだろう。21歳という年齢を最大限に活かすのであれば、高級店で少数の客を相手にするよりも、格安店で多数の客につかせるほうが、トータルで見れば稼げる。
ただ、そこに毎日不特定多数の客との性交を強いられる女性の心身への配慮は、一切無い。
「彼氏は、私と身体の関係があるから、自分自身の安全面も保ちたいから、性感染症のリスクのあるサービスは極力させないようにしたい、という口実で、そうした働き方をさせていたのだと思います。
私のことを『大切にしてるから』『愛してるから』、リスクのある行為はさせていないんだよ、という口実で、私を働かせていました。
でも、結局ソープで働くことを決定したのは、私自身です。うまく言いくるめられたとしても、最終的な決断をしたのは自分だと思っているので、もうそこは「やらされていた」とか「その人のせいで」という言い方は、あまりしたくないです。
私は大学も含めて女子校育ちで、ほとんど男性と付き合ったことがありませんでした。 だから当時は、その彼が全てみたいな感覚になっていました。「この人と別れたら、私はもう誰とも付き合えないんじゃないか」くらいに思っていて、彼の言うことが全てでした。
第三者から見たら明らかにおかしい状況だったのですが、当時は「これが正しい」と思ってやっていたので、疑問は感じなかったです。10代から20代の時期が、ちょうどポケベルからピッチ(PHS)、そして携帯電話へと移り変わった時代で、今みたいにSNSもなかったし、インターネットも今ほど使われておらず、情報源となるものがあまりなかった時代だったことも影響しているかもしれません」
「若さ」と「安さ」だけで勝負
接客では、特にリピートを増やすことは意識していなかった。毎回のお客さんの情報や会話の内容をメモするような工夫も特に行っていなかった。
「当時は現役大学生ということを前面に押し出していたので、こんなに若い子なのに、こんなに安くできる! ということを売りにしていました。短時間コースで、金額的には安い。その代わり、過剰サービスはしない、というスタンスです。
私はディープキスNGで、ゴムフェラを基本にしていたため、「サービスが悪い」ということでアンチも結構多かったんですよ。 ネット掲示板ではめちゃくちゃ叩かれてました。
それでも売れたのは、若かったから。 お店の中では私が一番年下だったので、サービスは悪いけど、若くて格安だから行こうかなみたいな理由で、お客さんが来たのだと思います。
私の売り方はロリだったので、セーラー服やサンタ、メイドのコスチュームなどを着ていました。私がそれで売れて、お店側も『若い子はロリ系で売った方が売れる』って思ったみたいで、お店のコンセプト自体がメイドに変わったんですよ」
店のコンセプトを変えるほどの売上を叩き出した理沙さんは「部屋持ち」の扱いになり、使用する部屋が固定になった。
「自分の個室がもらえた後は、他の女の子たちが待機している部屋にはほぼいなくて、個室での待機を基本的にしていました。自分の部屋のような感じで、飾りつけをしていた記憶がありますね」
「結婚しよう」と迫ってくるお客への対応
「お客さんの中には、変な人もたくさんいました。 私の話が面白いからって、小説を書きたいという人とかもいたり。 あとは本気で恋愛をしに来ていて、『結婚しよう』と言ってくる人もいました」
そうしたお客に対しては、どのように返答したのだろうか?...
