吹奏楽部員たちが部活に燃える日々の中で、書き綴るノートやメモ、手紙、寄せ書き……それらの「言葉」をキーにした、吹奏楽コンクールに青春をかけたリアルストーリー。ひたむきな高校生の成長を追いかける。
第31回は東海大学付属高輪台高等学校(東京都)#1
本連載をもとにしたオザワ部長の新刊『吹部ノート 12分間の青春』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)が好評発売中。
吹奏楽部員、吹奏楽部OB、部活で大会を目指している人、かつて部活に夢中になっていた人、いまなにかを頑張っている人に読んで欲しい。感涙必至です!
JR品川駅や高輪ゲートウェイ駅が見渡せる、港区高輪にある私立校。吹奏楽部は「自分に自信・友に信頼・人に感謝」を部訓に、座奏・マーチング・アンサンブルの各部門で活躍。また、全国各地で演奏会やジョイントコンサートを催している。全日本吹奏楽コンクールには、東京都支部で最多の18回出場(金賞13回)。2025年度の部員数は151名。

部長の心に浮かんだ悲劇のイメージ
「信念!」
6月中旬、音楽室でフルート担当の仲田早希(サキ)が元気よく声を上げると、背後にいる150人の部員たちが「信念!」と続いた。
「愛を込めて! 挑戦を謳歌しよう!」
サキの発した言葉を、部員たちも繰り返す。
それは東海大学付属高輪台高校吹奏楽部、通称・高輪台の2025年度のスローガンだった。休日練習の最初のミーティングでは、必ずその年の部長が音楽室の壁に貼られたスローガンを読み上げることになっているのだ。

高輪台は「吹奏楽の甲子園」とも呼ばれる全日本吹奏楽コンクールに18回出場。2010年以降は三出休み(かつて3年連続で全国大会に出場すると翌年はコンクールに参加できないという規定があった)とコロナ禍で中止された2020年を除いて連続出場が続いている。ステージ衣装の赤いブレザー(赤ブレ)は高輪台のトレードマークだ。
全日本吹奏楽連盟と朝日新聞社が主催する全国大会は、全日本吹奏楽コンクール(55人以内)のほかに、行進やパフォーマンスをしながら演奏する全日本マーチングコンテスト(81人以内)、全日本アンサンブルコンテスト(3人以上8人以内)がある。高輪台は2024年はこの3つの全国大会すべてで金賞を受賞。2025年3月の全日本アンサンブルコンテストでも金賞を受賞している。
これらの大会では、出場校に金・銀・銅のいずれかの賞がおおよそ3分の1ずつ授与されるため、金賞は1位を意味するわけではない。しかし、高輪台が輝かしい結果を残している吹奏楽のトップバンドのひとつであることは間違いない。その明るく、華やかで、洗練された都会的なサウンドは多くのファンに愛されている。
たとえて言うなら、「赤い王者」だ。全国大会に出場できる東京都代表は2校。今年も高輪台はその最有力候補だ。
しかし、スローガンを唱えたサキの表情は硬かった。
心に浮かんでいたイメージは、今年の東京都吹奏楽コンクール(都大会)で代表に選ばれる様子でも、全国大会で金賞を授与される様子でもなく——。
(もし都大会で落ちたら……)
それは、東京都代表に選ばれずに呆然とする自分の姿だった。

衝撃の予選落ち
サキたち高校3年生は、小学校を卒業するころに新型コロナウイルスの感染拡大による全国一斉臨時休業を経験した代だ。
小4から吹奏楽部でフルートを吹いていたサキは、全日本小学生バンドフェスティバルやマーチングバンド全国大会といった大きな舞台も経験していたが、大切にしていた小学校生活最後の定期演奏会をコロナ禍で奪われた。
「普段できていたことは当たり前じゃなかったんだ……」
人生で初めて経験する絶望だった。
中学校でも吹奏楽部に入ったものの、3年間ずっとコロナの影響を受け続けた。練習日数や時間は限られ、練習時には距離を置くよう指示され、マスクで部員たちの表情はよく見えず、動画審査になってしまった大会もあった。
「なんだか物足りない。これは私が望んでたものとは違う……」
楽器や吹奏楽は、サキにとって「すべてをかけて本気になれる、たったひとつのもの」だった。だからこそ、厳しさもある環境に身を投じて、とことんまで極めたかった。
「全国でいちばんになりたい!」
そんな大きな目標を持ったサキが選んだ進学先が、高輪台だった。
吹奏楽部の顧問は、名物指導者として有名な畠田貴生先生だ。畠田先生は入部してきたサキたちの代に対してこんな思いを抱いていた。

「この子たちはコロナ禍の影響をいちばん受けた代だ。やりたいこともやれず、たくさん我慢をさせられて、自分を押し殺すのが美徳という感覚が強くなっているが、ぜひそれを打ち破らせたい」
大人たちは「コロナ世代」と呼んだりもするが、畠田先生はそんなネガティブな呼称を払拭させたかった。サキたちの代だって、必ず心の奥底には自分を思い切り表現したいという強い情熱があるはずなのだ。
そんな畠田先生のもとで、サキは部活動に没頭した。
部員数の多い高輪台は、全日本吹奏楽コンクールを目指す55人の「蒲公英(たんぽぽ)」チーム、全日本マーチングコンテストやマーチングバンド全国大会を目指す「向日葵(ひまわり)」チームという2チームに分かれて活動している。
高1のとき、サキは向日葵に所属し、全日本マーチングコンテストに出場した。かつて全日本小学生バンドフェスティバルで出たのと同じ大阪城ホールのフロアに立ち、高輪台の一員としてフルートを演奏。金賞を獲得した。
順風満帆な1年目に思えたが、冬に落とし穴が待っていた。
その年、サキは高輪台の木管8重奏チームのメンバーとして、アンサンブルコンテストに参加することになった。アンサンブルコンテストもコンクールと同様、予選、都大会、全国大会の順に進んでいくことになる。東京都代表は2枠。予選や都大会には同一校から複数のチームが出場できるが、全国大会に出られるのは各校1チームのみだ。
当時、高輪台は毎年のように金管8重奏チームが全国大会に出場していた。もちろん、サキたち木管8重奏チームも本気で全国大会を目指していた。しかも、サキはピッコロを任されていた。
ピッコロはフルートより1オクターブ高い音が出る楽器。目立つ最高音を奏でるため、アンサンブルの中では重要な役割だ。サキは2年生の先輩たちに交じり、必死に練習を重ねた。
高輪台だからといって、当たり前のように予選を突破し、都大会や全国大会に出られると慢心していたわけではない。ただ、「予選は通過しなければならないもの」とは考えていた。まわりにもそういう目で見られていたし、「予選突破は大丈夫」とも言われていた。
だが、結果はまさかの予選落ち。この衝撃は大きかった。あの「赤い王者」である高輪台が、コンテストの一歩目で躓いてしまったのだ。悔しさに泣きじゃくる先輩たちをサキは呆然と見つめた。高輪台はどんな大会でも好成績を残し続け、いつも笑顔というイメージがあったが、赤ブレを着た部員たちが涙する光景は、強烈な違和感とともにサキの脳裏に焼きついた。
「何が起こるかわからないんだ……。どんな大会でも、負けてしまうとこうなるし、最高学年にとっては取り返しのつかないことになるんだな」
サキはコンクールやコンテストの厳しさを痛感した。高輪台でも、何かを保証されているわけではない。それに、必死に努力したからといって、必ずしもそれが報われるわけでもないのだ——。

<次回>【吹部ノート 第32回】東海大学付属高輪台高等学校(東京)#2
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🔰シンクロナスの楽しみ方
全国の中学高校の吹奏楽部員、OBを中心に“泣ける"と圧倒的な支持を集めた『吹部ノート』。目指すは「吹奏楽の甲子園」。ノートに綴られた感動のドラマだけでなく、日頃の練習風景や、強豪校の指導方法、演奏技術向上つながるノウハウ、質問応答のコーナーまで。記事だけではなく、動画で、音声で、お届けします!
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