吹奏楽部員たちが部活に燃える日々の中で、書き綴るノートやメモ、手紙、寄せ書き……それらの「言葉」をキーにした、吹奏楽コンクールに青春をかけたリアルストーリー。

本連載「吹部ノート」では、部員たちの熱いドラマをお届けしているのだが、その指導にあたる顧問の先生は、何を考え、何を生徒たちに伝えているのだろうか。

前回に引き続き玉名女子高等学校吹奏楽部 顧問・米田真一先生に話を聞いた。

本連載をもとにしたオザワ部長の新刊『吹部ノート 12分間の青春』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)が好評発売中。

米田真一先生
吹奏楽部顧問、音楽科教諭。1969年生まれ。熊本県出身。熊本県立宇土高校を経て武蔵野音楽大学卒(ホルン専攻)。1992年より玉名女子高校吹奏楽部の顧問に就任。同部の全日本吹奏楽コンクール出場16回のうち、15回は米田先生の指揮によるもの。
 

大空に舞い上がった先生の「夢」

 自由曲《サントス・デュモンの大空への夢(2024年版)》では、実在の人物であるサントス・デュモンが人生を通じていかに飛行機や飛行船の開発に熱意を燃やしていたかが、ドラマティックな音楽で描かれる。

 そこには演奏する部員たちの夢とともに、米田先生の夢も投影されていたのではないだろうか。

 

 米田先生が音楽の道に進むと決めたのは、熊本県立宇土(うと)高校2年のときだった。しかし、先生自身ははっきり覚えていなかったが、小学校の卒業アルバムにはすでに将来の夢として「音楽家になる」と書かれていた。中学校の卒業アルバムでは、それが「音楽の先生になる」に変わっていた。

 宇土高校吹奏楽部でホルンの練習に没頭していた米田少年は、教員になるために熊本大学教育学部への進学を考えていた。

 ところが、高2のある日、部活に行ってみると、部室から恐ろしく美しいソプラノサックスの音色が響いてきた。驚いて部室を覗いてみたところ、そこにいたのは東京の武蔵野音楽大学に入ったOBの先輩だった。先輩はたまたま帰省して宇土高校に顔を出しにきていたのだ。

 米田少年は衝撃を受けた。

「僕も先輩みたいな演奏がしたい! 先輩みたいに上手になりたい! 武蔵野音大に行けば、先輩みたいになれるかもしれない!」

 それが米田少年にとって大きなターニングポイントになった。米田少年は志望校を変え、音大受験の勉強をして、見事武蔵野音楽大学に合格した。大学ではホルンを専攻し、高度な音楽教育を受けて、大学卒業後の1992年に玉名女子高校に着任。吹奏楽部顧問の「米田真一先生」となった。

 それから30年以上が経ったが、先生は玉女を「最強の女子校」と呼ばれるまでに育て上げた。サントス・デュモンの夢のように、先生の夢も予想もしなかったほどの高みにまで舞い上がったのだ。

 部員も、玉女サウンドに憧れて九州全域はもちろん、東京や新潟、高知、沖縄などからも入部している。テレビでもたびたび取り上げられる、名実ともに高校吹奏楽界のトップバンドのひとつとなっている。

 

 玉女の特徴といえば、ほとんどの部員が白梅寮という学生寮で寝食をともにしているということだ。2025年度では88人の部員のうち実に86人が寮生活をしている。

 それにより、部員たちは単なる「部活動の仲間」「同じ学校の生徒」という関係性を越え、「家族」「姉妹」のような絆で結ばれていく。ライバル校にはないこの特徴が、抜群の統一感を誇る「玉女サウンド」の源になっている。共同生活をしているからこそ、イメージを共有しやすくなるのだ。

 米田先生は言う。...