吹奏楽部員たちが部活に燃える日々の中で、書き綴るノートやメモ、手紙、寄せ書き……それらの「言葉」をキーにした、吹奏楽コンクールに青春をかけたリアルストーリー。

本連載「吹部ノート」では、部員たちの熱いドラマをお届けしているのだが、その指導にあたる顧問の先生は、何を考え、何を生徒たちに伝えているのだろうか。

前回に引き続き東海大学菅生高等学校吹奏楽部 顧問・加島貞夫先生に話を聞いた。

シリーズ最新刊『吹部ノート 第73回全日本吹奏楽コンクール』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)が電子書籍で好評発売中。

加島貞夫(かじま・さだお)先生
1961年3月29日生まれ。東京都昭島市出身。法政大学第二高等学校を経て、法政大学文学部英文学科卒業。1983年、開校(当時は東京菅生高等学校)より英語科教員となり、吹奏楽部初代顧問に就任。全日本吹奏楽コンクールに10回出場(金賞5回)、全日本アンサンブルコンテスト20回出場。2026年現在の肩書は校長補佐。
 

夢の全日本吹奏楽コンクール初出場!

 顧問になるとき、理事長に「5年ください。5年で全国大会に出ます」と約束した。

 だが、学校自体が始まったばかりで、吹奏楽部のために用意されたものは何もなかった。かき集めた部員はたった7人。

「楽器も何もないから、グラウンドで声出しをしたり、呼吸法をやったりしていましたね。『開校3年でコンクールに出るぞ! 第1回定期演奏会も開催するぞ!』と、そんなことを目標にしていました。体育館の竣工式で、初めて7人で《建学の歌》を演奏したときの感動はいまも忘れられません」

 若さ溢れる新人教師の加島先生と7人の吹奏楽部1期生たち——音楽の喜びを感じながらひたむきに楽器を奏でる姿が目に浮かんでくるようだ。

「怖いものは何もありませんでした。生徒たちと年齢も近かったですし、先生と教え子というよりは兄弟のような関係でしたね」

 

 その後、東海大学菅生高校吹奏楽部は順調に部員数を増やし、コンクールでも存在感を示すようになっていった。創部から5年後の1988年、理事長に約束したとおり、全日本アンサンブルコンテストに初出場。その8年後には夢の全日本吹奏楽コンクールにも出場を果たした。

「当時は関東第一高校や都立永山高校が強豪で、代表は2枠。ついにそこに加わることができましたが、創部からの13年間は長かったと感じましたね。全国大会の会場は普門館でした。憧れの先生たちとすごい学校が集まっていて、『とんでもないところに来てしまったな……』と思ったのを覚えています。演奏はあっという間に終わってしまい、あまり覚えていません」

 初の全国大会は銅賞。しかし、加島先生と東海大学菅生高校は吹奏楽の歴史にしっかりとその第一歩を刻んだ。

「全国大会に出ても、特に僕の指導も、生徒たちの雰囲気も変わりませんでした。いまも昔も、僕のポリシーは世の中に出ても恥ずかしくない人間に育てること。生活指導が第一です」

 美しい音楽の花が咲くためには、人間的な成長という豊かな土壌が必要だ。土壌が痩せていては花は健康に大きく育てないし、土壌なしで作られれば造花になってしまう。吹奏楽指導歴43年の加島先生は、ぶれることなく同じ方針で指導を続けてきたのだった。

栄光の「五金」と……

 東海大学菅生高校は2025年度まで全日本吹奏楽コンクールに10回出場しているが、鮮烈だったのは2018年から始まる5大会連続の金賞受賞。いわゆる「五金」の偉業を達成したことだ。...