徳川政権末期の「徳川近代」という時代は、明治新政権が政治的に江戸時代を全否定することによって抹消されてしまった。

その影響は現代まで続いている。勝者である官軍によって歪められた歴史は、幕末を生きた偉人たちの存在を掻き消してしまった。

しかし、再来年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」で、幕臣として近代化に尽力した小栗忠順が主人公になるなど、少しずつ歴史の見方も変わってきている。

本企画では、小栗忠順のみならず「幕末・維新を動かした真の主役たち」というべき人物に着目。今回は音声で収録した内容を編集部が記事としてまとめてお届けします。

フルバージョンの音声はこちらから阿部正弘#1

「勝った側の物語」だけで維新は理解できない

「明治維新を正しく理解するにはどうすればいいのか」を、人物を手がかりに考えてみます。教科書の明治維新は、どうしても「倒幕のドラマ」として整理されがちです。しかし、その描き方だけで歴史をみていると見落としてしまっているものがある——そんな問題意識から、私は幕府側に立つ5人の人物を取り上げます。井伊直弼、小栗忠順、小野友五郎、土方歳三、そして阿部正弘です。

 明治維新は、薩摩・長州を中心とした倒幕勢力が徳川政権を倒し、日本が近代へ踏み出した——という形で語られます。多くの人が学校でそう学び、今も大枠は変わっていないでしょう。徳川社会は「武士階級による支配」「身分制度」「高い年貢」「鎖国と幕藩体制による抑圧」といったキーワードで語られ、倒幕は“解放”として描かれる。物語としてはわかりやすい一方で、近代化に向けた制度づくりや人材育成、外交・技術の準備がどのように行われてきたかが見えなくなります。日本の近代化を成し遂げたのは本当は誰なのか、それについて語りたいと思います。

 小栗上野介忠順は、近年あらためて注目される機会が増えています。来年2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公でもある小栗は、戊辰戦争で敗れた徳川側に立ちながら、最後まで政権を支えようとした人物です。小栗がいなければ、徳川体制はもっと早く崩れていたでしょう。

 小野友五郎も、知名度は高くありませんが、幕末の実務を支えた“理系型の天才官僚”と呼ぶべき存在です。象徴的なのが咸臨丸の太平洋横断でしょう。一般には「咸臨丸=勝海舟」というイメージが強く、教科書の記述もそう書かれています。しかし、勝海舟が咸臨丸を総指揮して太平洋を横断した、という事実はありません。勝は船に乗ってはいましたが、ほとんど部屋に閉じこもっているような状態で、小野友五郎がいなければ、この航海は西海岸まで到達できなかったと見ています。

 また戊辰戦争の緒戦、鳥羽・伏見の戦いで幕府が敗れました。このとき最後の将軍・徳川慶喜は、前夜に将兵へ立派な演説をしたにもかかわらず、夜のうちに脱出して江戸へ戻っています。さまざまな裏切りや事情が重なり、結果として薩摩・長州側(徳川から見れば“反乱軍”)が勝利しました。その後、負傷者が取り残される状況の中で、いったん江戸へ帰った艦隊を、もう一度大坂へ回航させ、負傷者を回収して江戸へ連れ帰った。これも小野友五郎の仕事でした。

 土方歳三といえば新撰組の「鬼の副長」。知名度は今回挙げた5人の中でも群を抜くでしょう。ただ、私が注目したいのは「新撰組副長としての土方」だけではありません。幕府崩壊の局面で土方がどんな立場にあったのか。土方は幕府の歩兵隊を率いる実質的リーダーとなり、フランス軍の元将校や元海軍系の人材も合流しながら、函館で明治新政府軍と戦う「幕府側陸軍」を象徴する存在になっていきます。

 ではなぜ、新撰組の副長が、組織戦を要する歩兵部隊を指揮できたのか。ここには謎が残ります。私自身の解釈も含め、土方を“近代陸軍の担い手”として捉え直す必要があると思っています。

阿部正弘が開いた「徳川近代」——最大の功績は人材の抜擢

 そして本題は阿部正弘です。私は、なぜ最初に阿部を取り上げるのかを繰り返し強調してきました。阿部正弘がいなかったら日本は近代化へ進めなかった——そのくらいの重みがあると考えているからです。

 歴史は「古代・中世・近代」といった区分で語られますが、日本史では中世と近代の間に「近世」を挟むのが一般的です。しかし、私は江戸末期の最後の約20年ほどを、あえて「徳川近代」と呼んでいます。近代化の芽は、明治政府が突然つくったのではない。徳川政権の末期に、すでに制度と人材の準備が始まっていた。そのスタートを切ったのが阿部正弘政権だ、というのが私の理解です。

 たとえば対外姿勢の転換をめぐって、「異国船打払令」の方針を改め、打ち払い一辺倒の姿勢を見直しました。また幕府天文方を科学技術の総合センターのように整え、通訳養成を含む“実務”を回す基盤をつくる。講武所の整備、医学教育施設の設立支援、そして西洋書を集め翻訳・研究・人材育成を担う蕃書調所のような組織——こうしたインフラ整備は、近代化の下地そのものです。

 ただ、阿部の最大の功績を一つ挙げるなら、私は「人材の抜擢」だと思っています。これは徹底しておこなわれました。小野友五郎のように、小藩の末席に近い立場からでも、能力があれば引き上げられる。その大胆さが、幕末の官僚群を厚くしました。

 背景には、江戸時代の数学・測量技術水準の高さがあります。和算の塾が各藩にあり、測量術が発達し、技術官僚が育つ素地がありました。そこに阿部の“激しい人材登用”が重なった結果、対外方針の転換を実務で運用できる官僚が育っていきます。

 そしてペリー来航後、国家が本当に問われたのは「方針」そのものより、その方針を現場でどう運用するかでした。国書を受け取り、外交の基本を転換し、その転換を制度として回す。その担い手が必要になる。そこで川路聖謨がロシアのプチャーチン対応を担い、水野忠徳のような官僚が欧米の外交官と厳しい交渉に渡り合い、岩瀬忠震らが条約締結の局面で前面に立つ。こうした人材がジェネラリストとしての政治官僚と、専門性を担うテクノクラートの両輪として動く。だから徳川近代の官僚は非常に優秀だったと結論づけています。

 明治のスローガンとして語られる殖産興業や富国強兵も、骨格だけ見れば、徳川近代が先に整え始めた近代化の路線を“なぞった”側面があるのではないか。そう考えると、阿部正弘を「日本近代の最初の章」に置くべきだという私の見方です。

「鎖国」という言葉が、歴史理解を縛っていないか

 ここから話題を「鎖国」に移します。江戸時代の日本は鎖国していた――これは常識として語られます。しかし私は、“鎖国”という言葉が想起させるほど厳密に国は閉じられてはいなかった、と捉えています。

 いわゆる「江戸四口」。長崎口(出島を通じたオランダ・中国との交易)、対馬口(対朝鮮の交易・外交窓口)、薩摩口(琉球を介した南方とのつながり)、松前口(北方の窓口で、箱館が国際港的な性格を帯びていく)。外に向かう窓口があり、人も物も動いていた。この状態を「完全に国を閉じた」と言い切るのは乱暴ではないか、というのが私の認識です。

 江戸初期に海外渡航や帰国を制限する触れが段階的に強化され、キリスト教取締りが政策として積み重なったことはあります。ポルトガル船の来航禁止のような措置も出る。しかしそれらは、複数の統制が段階的に重なっていった歴史であり、「鎖国令」という法令があって国を完全に閉ざした、というイメージとは距離があります。

 そもそも「鎖国」という言葉自体が、江戸社会に広く流通していたわけではなく、明治になってから一般化した言葉だ、という事実もあります。いずれにせよ、国として閉鎖的な体制は取っていたが、完全に国を閉じていた事実はない——正確にはそう整理すべきなのです。

歴史の検証がなぜ必要なのか

 教育現場では「鎖国」という用語の扱いをめぐって議論が起きます。「開国」という言葉があるのに「鎖国」を使わないのはおかしい――といった反応が出たりもする。しかし、言葉の整合性と、歴史の実態は別問題です。用語が先に立ってしまうと、史実の検証が置き去りになります。吉田松陰や坂本龍馬を教科書に載せるべきか、といった話が感情論に引きずられやすいのも、根は同じだと感じます。

 歴史の検証には時間がかかります。長い期間、十分に検証されないまま“物語”として定着してきた部分もあるでしょう。だからこそ、歴史をきちんと検証して、将来のビジョンを描くために、正しく語り直す必要があります。極端に言えば「歴史教科書はすべて書き換える必要がある」とさえ思っています。

 もちろん、私が生きている間にそれが全部実現するわけがない。ただ、1行でも2行でも、その作業に貢献したい。少しずつ書き換えていかなければ、実際の歴史は語り継がれていかない――そういった思いがあるのです。

<次回>【幕末・維新を動かした真の主役たち 第3回】阿部正弘 #2(記事版)

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幕末・維新を動かした真の主役たち
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明治維新について語られる人物像の多くは、維新で勝った側の都合に沿って書かれてきた物語に依拠しており、公教育の教科書に至るまで、その影響が色濃く残っています。

本企画では「幕末・維新を動かした真の主役たち」に光を当て、音声を中心に、記事や動画などもまじえて配信していきます。

彼らがどのように生き、何を考え、どう行動したのか。そして、維新後に新政府は彼らをどう扱ったのか。人物の軌跡を丁寧にたどることで、従来のイメージとは異なる真実の明治維新」をお伝えします。

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