街を歩いていると、不意に耳に入ってくる言葉がある。誰かの会話、カフェのBGM、看板の文字。芸人・鈴木ジェロニモが、日常の中で出会った“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせます。

ロロの演劇を観た。「いつだって窓際であたしたち」と「校舎、ナイトクルージング」。どちらもフルキャストオーディションによる再演。観たことがある作品をもう一度観るという体験が、新しくてたのしかった。
ロロの作品には去年出演させていただいた。もともと好きで観に行っていた劇団に自分が出演することへの嬉しさと信じられなさを実感でぐるっと包み、本番を迎えた。自分のからだがロロの世界に満たされてうごく。背が伸びるように嬉しかった。
エレベーターを降りて劇場受付に向かう。前の人が対応してもらっている間、急いでいる感じになりたくなくて、受付の方の視界から消えるように受付横の柱に直角に隠れる。前の人の受付が終わって自分の番になる。隠れていたから、ひょこっ、お久しぶりですっ、って参上した感じになってしまうかもしれない。それは避けたくて、一歩遠ざかる方向に膨らんでから受付の方の視界に入る。こんにちは、お久しぶりです。「わ、ジェロニモさん! 連絡してくださいよ!」。受付の、去年もとてもお世話になった制作スタッフさんが声をかけてくださる。いやあ、はー、ええ、すいません、あの普通に、楽しみで観に来ました。照れて、どう言ったらいいか分からなくなって、ゆっくりなのに早口でへらへら返す。
とある高校の教室。昼と夜。昼が「いつだって窓際であたしたち」で夜が「校舎、ナイトクルージング」。2つの作品の教室に、当たり前だが自分はいない。なのに、どう考えても自分がいる。たまたま思い出さなかっただけの記憶のように愛おしい手ざわりがある。それは2つの作品がどちらも、いないひとをまなざしているからだと思う。そのときその場所に身体がないという意味でそこにいない人物の輪郭が、台詞によって、演出によって、何度も色濃く描かれる。観る私はその人物を、まるで自分のことのように考える。私がみる世界、私の視界に、私はいない。それでも私は私がここにいることを信じる。信じることができる。それは私の輪郭が、私ではない他者によって何度もなぞられるからだろう。そのようにロロの作品には、何度も私が登場した。だから忘れていただけの、忘れられない教室だった。
私が観に行った回は両方とも、ロロの主宰で脚本家の三浦さんがアフタートークに登壇した。ひとりで出てきた三浦さんが「どうしてもここで食べたかったんです」と言って崎陽軒のシウマイ弁当をひろげる。シウマイ弁当は重要なモチーフとして両作品に登場する。「いただきまーす」「んー!」「うん、うん、うん」。三浦さんがシウマイ弁当をもぐもぐ食べる。それを客席全員で見守る。「うーん、んー、んん……」。舞台にひとり、咀嚼を終えた三浦さんの顔がぱっと上がる。「うん、おいしい!」。客席が、胸を撫で下ろしたように、わっと笑う。食べていない私も、どうしてだろう、おいしかった。ここにないシウマイ弁当を、私たちは三浦さんと食べた。



【次回更新は7月26日(土)正午予定】

プロダクション人力舎所属。R-1グランプリ2023、ABCお笑いグランプリ2024で準決勝進出。第4回・第5回笹井宏之賞、第65回短歌研究新人賞で最終選考。第1回粘菌歌会賞を受賞。YouTubeに投稿した「説明」の動画が注目され、2024年に初著書『水道水の味を説明する』(ナナロク社)を刊行。文芸誌でエッセイ掲載、ラジオ番組ナビゲーター、舞台出演など、多岐にわたり活躍。>>詳細

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芸人・鈴木ジェロニモが、“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせるエッセイ連載。(毎週土曜 昼12時更新)
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「渋谷はね、もう全部ありすぎて、ない。」——駅ですれ違った高校生 |
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