街を歩いていると、不意に耳に入ってくる言葉がある。誰かの会話、カフェのBGM、看板の文字。芸人・鈴木ジェロニモが、日常の中で出会った“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせます。

大阪の梅田Lateralで歌人の小坂井大輔さんとのトークライブに出演した。小坂井さんは名古屋の中華料理店「平和園」の店主さんでもある。平和園。私は人生で2回行った名古屋のうち2回とも平和園に行っている。1回目は1人で行って、確か炒飯と焼売をいただいた。口の中で熱の花が咲くように美味しかった。2回目は一緒に行った編集者さんが「ジェロニモさん、ここは青椒肉絲なんですよ」と秘密を打ち明けるように教えてくださって最初に青椒肉絲を食べた。あまりに美味しくて後半にもう1皿頼んだ。2皿目の青椒肉絲も出会いのような美味しさだった。
町中華屋の長男として舞い降りたばかりにすべての床のぬるぬる
/小坂井大輔『KOZAKAIZM』(短歌研究社)
「何者かになりたい自分と、だらけたい自分がいて、後者が勝ち続けた30年でした」。小坂井さんは30歳で短歌を始めたという。同時期にボクシングやウクレレも始められたようで、しかし最も長く熱心に向き合っているのは短歌である、と。「何を辞めてもいいんです」。熱意と諦念が共存する小坂井さんの魅力がそこにあると思う。
思い返すと私は高校まで野球をやっていて大学ではアカペラをやっていたがいずれも敢えて言葉にするなら「辞めて」いる。子供の頃に通っていた水泳と空手も「辞めて」いる。でもそれらの記憶がネガティヴなものとして残っている訳ではない。むしろ胸を張って思い出と言えるような、愛着を持って重心を預けた椅子のような好意的な記憶になっている。人は意外と「辞めて」いる。
華やかな希望を目の前に吊るして「何を始めてもいい!」と鼓舞することが却ってその一歩の重さを意識させてしまうことがある。何を辞めてもいい、と思えた瞬間、既に何かを始めていたかのような爽やかな風が吹く。小坂井さんの言葉に押された私の背中があたたかくて涼しい。
ライブが終わって中崎町の書店「葉ね文庫」まで歩く。途中、パンチパーマのお兄さんとすれ違う。お兄さんのはだけたシャツから刺青っぽいものが覗いている。バイクの若者がエンジン音をふかしながら通りを走り去る。なんか、大阪って感じしますね。「良いですよね。バイクの改造とかパンチパーマって、ポエジーじゃないですか」。ポエジー。言われてみると確かにそうだ。実利がないのにそれをやるのは美しいから以外に理由がない。パンチパーマのお兄さん。バイクの若者。無関係な水流のように現れた彼らは行動の詩人だった。


【次回更新は6月14日(土)正午予定】

プロダクション人力舎所属。R-1グランプリ2023、ABCお笑いグランプリ2024で準決勝進出。第4回・第5回笹井宏之賞、第65回短歌研究新人賞で最終選考。第1回粘菌歌会賞を受賞。YouTubeに投稿した「説明」の動画が注目され、2024年に初著書『水道水の味を説明する』(ナナロク社)を刊行。文芸誌でエッセイ掲載、ラジオ番組ナビゲーター、舞台出演など、多岐にわたり活躍。>>詳細

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芸人・鈴木ジェロニモが、“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせるエッセイ連載。(毎週土曜 昼12時更新)
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「渋谷はね、もう全部ありすぎて、ない。」——駅ですれ違った高校生 |
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