街を歩いていると、不意に耳に入ってくる言葉がある。誰かの会話、カフェのBGM、看板の文字。芸人・鈴木ジェロニモが、日常の中で出会った“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせます。

 

 大阪に行く。ダウ90000第7回演劇公演『ロマンス』大阪公演を観る。立ち上がりの速さにこちらが叩き起こされて、カーテンを貫く光のように物語が始まる。ピザ生地の最初みたいにまるまっていた自分の脳がぐねりぐねりと押し広げられて、気がつくともうあのピザの状態に伸びて気持ちよくなっている。声がいい。それぞれが、そういうときの、そういう声をする。いやこれ、おれ用に作られてんじゃん、と私が思ったし観客全員が思ったと思う。「8人組」であることがとてもよく伝わってくる。物語の主体となる人物は定められつつも、8人全員が波しぶきの先頭のように順番にランダムにつぎつぎに魅力を発する。誰も急いでいないのに、速い。なのに置いていかない。うーわーあーえーおーと揺さぶられて、暗転。2時間を鮮やかに駆け抜けた8人が颯爽と舞台に並ぶ。客席に向かってお辞儀をする。したくて堪らなかったというように拍手がどっと鳴る。8人がばららららっと頭を上げる。あっ、と思う。龍だ。私はそこに龍を見た。ダウ90000というさわやかでいじわるな龍。私たちはその背中に乗って猛スピードの夢を見た。「ロマンス」は、私たちの走馬灯の名前だ。

 翌日、葉ね文庫に行く。中崎町駅からのわずかな道のりにも容赦なく注ぐ太陽を日傘で払うように歩いて、葉ね文庫のあるビルに着く。入り口でスリッパに履き替える。これがなんというか、参観日みたいなちいさなわくわくとそわそわがあって良い。扉をがららと開ける。あっ、どうも、こんにちは。「あーっ、こんにちは。ありがとうございます」。店主の池上さんが思い出に気づいたように笑って迎えてくださる。こんこん。がらら。「すいませーん」。私の直後に宅配便の方が来る。池上さんが受け取る。「ちょうど届きました」。荷物をほどいて見せてくださる。えっ。私の本だ。『水道水の味を説明する』がちょうどナナロク社から届いていた。私は私のことばかりだ。

「ジェロニモさんのポッドキャスト、きいてます」。わっ、ありがとうございます。「いらっしゃったとき、お見かけしてジェロニモさんやって思って。さらに声で、あっ、と思いました」。声で。たしかになあ、と思う。自分の見た目そのものはリアルタイムで把握できないけれど、声はできる。私が私を私だと思えるものは、意外と私の声なのかもしれない。

 えっと、この歌集をください。私らしい声を意識して、池上さんに言った。

葉ね文庫で買った服部真里子さんの『遠くの敵や硝子を』を読んで水とお茶を飲む

 

【次回更新は7月19日(土)正午予定】

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鈴木ジェロニモ
芸人、歌人

プロダクション人力舎所属。R-1グランプリ2023、ABCお笑いグランプリ2024で準決勝進出。第4回・第5回笹井宏之賞、第65回短歌研究新人賞で最終選考。第1回粘菌歌会賞を受賞。YouTubeに投稿した「説明」の動画が注目され、2024年に初著書『水道水の味を説明する』(ナナロク社)を刊行。文芸誌でエッセイ掲載、ラジオ番組ナビゲーター、舞台出演など、多岐にわたり活躍。>>詳細

 

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芸人・鈴木ジェロニモが、“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせるエッセイ連載。(毎週土曜 昼12時更新)

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「渋谷はね、もう全部ありすぎて、ない。」——駅ですれ違った高校生
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